吐瀉、それは救い。
吐き気を催しては、耐える。そんな日々。苦しい。
でも、ウチに秘めた感情を言葉にして吐きだすことは僕にとっての救いである。
だから、この行為を愚行と自覚しているが許してほしい。
この文章に特に意味はない。ただ書いているだけ。
だから、記憶の倉庫、読み物じゃない。
読んでも無駄な時間になるはず。
感覚過敏で神経をすり減らす。
音と光に過剰に反応してしまう。
これまで寝ることが不可能だった電車の中は、寝床と化して、眠気に流されるままだ。
日中、いや24時間ずっと眠たい。体が低電力モード。
別に悪い気分じゃない。ただ体が動かないだけで。
俺は俳優には程遠い。絶対になれないであろう。
横山桂大という人間を演じるだけで果てしなく体力を消耗するのだから。
毅然とした態度で、横山桂大を装うことですら、難しい。
横山桂大っていう人間は、割と活発な人間だったからね。
ずっとベッドで横になっていたい。でも世界はそうはさせてくれない。
パニックになっても活発な横山桂大を演じなければならない。
考える時間をなくすことがいいのでは?という仮説をもとに予定を詰め込みすぎてしまっている。
特に考えることもないのだが。
もうギブアップだ、という状況でも明日はまたやってくる。
明日も命を燃やさないといけない。
生きるだけで偉い。
それは今の自分になら胸を張って言えることだ。
生きることですらしんどいのだ。
1年前は無性愛者だと自覚していた。
そんな僕が女性を愛することができたという事実は、僕にとって夢のような時間だった。というか、ヒトを生きていると思えた瞬間だった。
愛するということがこんなにも尊い感情で、豊かであるということを今なら言える。
愛なき人生は命が尽きる瞬間を望むことしか希望がないのだから。
「俺、こんな幸せでいいのかな。。。」と交差点を渡る赤信号の前で泣き出したことがあったな。
愛する人のために、お土産やプレゼントを見て、喜んでくれる姿を想像して、幸せだった日々があったな。
助手席に誰かがいる。横で歌を歌っている人がいる。
一緒にいるだけで、今日もいい日だったなぁと無条件に思える人がいる。
それがどれほど幸せだったんだろうか。
一般的な人間にかける「次のひと見つかるよ!」っていう励ましの言葉と、
僕に対してかけるその言葉じゃ、全く意味が変わってくる。
誰かを愛することができる。ということすら僕に取っては確定事項じゃないのだから。
愛するということが不得意なんだから。
そんな僕が砂漠の中から見つけ出した一粒の金だった。
やっとの思いで掘り当てた金だった。
体に嘘をついて言葉を吐き、体はその反動で更に動かなくなっていく。
心は脆く、崩れ落ちていく。
僕の夢は日に日に、影を濃くしていく。
夢というより、救いなのか。
何をしていても、無意味。
お腹が空いてもご飯を食べることが無意味。
生きたいと思ってないのだから。
筋トレをする。無意味。
別にこの体、いつでも捨てたいもの。
学ぶこと、無意味。
将来とか、未来のための教養なんて必要ないんだもの。
お金、無意味。
なんとか自分の中に生への喜びを見出そうと、これまで気になっていた、衣装やら、食べ物やら、をたくさんのお金を浪費してかき集めてみた。
でも何も満たされない。幸せと感じていたことに幸せを感じられない。
音楽、無意味。読書、気休め。タバコ、有意義。本数だけが増えていく。
泣くこと、無意味。楽しいこと、無意味。
何も満たされないから。
未練?たぶん、そんなものはない。
失恋から、鬱になっているのじゃない。
人生の苦しさから、鬱になっているだけ。
人生の喜びを知ってしまったことが大きな重荷になっている。
あの喜びを知らないままだったなら、もっと楽に生きられていると思う。
希望があるから、苦しい。希望を知ってしまったから、傷が残っている。
希望なんてものを捨てて、生きられたらいいけど、ね。
記憶を消したい。でも写真は残ったまま、ゴミ箱に入れられない。
なぜ、津へ?
なら、対面で胸に突き刺してよ。ね。
遠隔じゃなくて、近接でいいのに。
そっちの方がありがたい。
生きることは辛いこと、って、母親に言ってしまった。
死にたい、って、母親に言ってしまった。
生まれてきてごめんなさい。って、言ってしまった。
子を産むことは良くないことだ的なことを、言ってしまった。
死んじゃいけない。
周りの人が悲しむから。
生きなきゃいけない。
そう、脳死で体に刷り込めば刷り込むほど、体は動かなくなっていく。
何か、救いになることがあればいいんだけど、
誰かと時間を共にすることですら体力を使う。
ひとからの助けは本当に、助けにはならない、んだ、今の僕には。
ほっといてほしい。
ただこうやって、吐くことが、現状のできることだ。
救いになることはただ、一つだけ。
Let me go ?