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コンプレックスの愛し方

先月上旬、また人と比べて、
悔しい気持ち、
できる人がうらやましいと思う気持ちが
出てきていました。

過去にも何度か、悔しい気持ちや、
劣等感にフォーカスして、
セルフヒプノセラピー(自分で自分に催眠をかけて癒やす)をすることで、
気持ちは楽になってきました。

ヒプノセラピーとは、こちら♡


それに、「劣等感」はよくないけど、
「悔しさ」は悪いものではないと、
気付くこともできてきました。

だから、今回は、
そんなに「劣等感」はなくて、
「悔しさ」「うらやましさ」がメインな感じでした。

今回の気持ちにフォーカスして、
どんな【神視点】が出てくるのか、
またいつものように
セルフヒプノセラピーをしてみました。

そのときのメモを見ながら、
記憶と感情を辿りながら、
綴っていきます。


テーマ:できる人がうらやましい、できない自分が悔しい気持ちを癒やす


🔴1つ目のシーン

自分で自分に催眠をかけた私は、
4歳の頃に戻りました。

保育園の園庭で、鉄棒をしています。

逆上がりが、
お手本を示す先生のようにできなくて、
悔しさを感じています。

ものすごく悔しいわけではなくて、
軽めの悔しさといった感じ。

むしろ、鉄棒が楽しいからやってる感もあります。

そこから、少し先に進み、
逆上がりを練習し続けて、
私は逆上がりができるようになったようです。
うれしい気持ちを感じています。

このシーンを大人になった私が俯瞰して見たとき、
「なんて頑張り屋さんなの」
「頑張る姿は美しい」

と、幼い頃の私に感動しました。


🔴2つ目のシーン

1つ目のシーンから、
さらに時代をさかのぼるつもりが、
今度は、5歳頃にきました。

小学校入る前の年、保育園最後の夏。
お泊り保育のときかな。
今日は、家には帰らず、
他の園児たちと、保育園に泊まります。

お風呂に同級生の女の子たち5人ぐらいで入るとき、

私は自分の身体が、
みんなと違って見えることを、気にしています。

顔もかわいくないし、
身体も変だと感じています。

私の体型は、
他の女の子たちのように、
ふっくらしてなくて、
鳥ガラ体型で、かわいくないと思ってるようです。

大人の私が、
幼い私の顔や身体を見ると、
どう見ても、幼い私はかわいいとしか見えません。

それに、他の女の子が、
特別かわいいとか、思えません。

幼い私には、
みんながかわいくて、うらやましく見えるのに、

大人の私には、
幼い私が感じている、
「他の子だけがかわいい」感覚を
感じることはできないのです。

すごく不思議です。

ここで、ポジションチェンジして、
私は、幼い私の意識の中に入りました。

そうして、幼い私が、大人の私を見たとき、
「かわいくて美しい人」
「好き」
「ステキ」

そんな気持ちが湧いてきました。

「大人の私って素敵だ」
「全体が素敵だから、マイナス要素(コンプレックス)は気にならない」

と、幼い私は感じました。

「こんな大人の身体の私になれるんだぁ♡」と、幼い私はうれしくなりました。

最後に、私たちは、
裸でハグをしました。


🔴2つのシーンを経て湧いてきた学び

🌟不可能を可能にする行為は美しい

🌟そのポイントは、楽しんでやることだ。

🌟顔や身体の一部分のコンプレックスを見つめるのはナンセンス

🌟マイナスも素敵さも、すべて合わさって、形作られている私。それがいい、それが最善な姿。


産まれたままの、ありのままの裸の私。
その裸の身体を、さらにさらに、好きになっていくのを実感できました。

これはすごくうれしかった♡


幼い私のフィルターを通して見ると、
他の女の子は、かわいく見えていたから、
昔、祖母や母が、私のことをかわいいと言ってきても、
みんな本心で言ってるとは、思ってなかった気がします。

でも、このヒプノセラピーを通して、
彼女たちは、本心で言ってくれていた。
そう確信しました。

それから、
マイナスも素敵さも、すべて合わさって、形作られている、それが最善の姿ということを知りました。

自分だけでなく他者に視点をうつした時、
また身体だけでなく、その人の精神、発する言葉、生み出すものなどに視点をうつした時、

一部分が嫌だ、と捉えるのではなく、
その人の全体を捉えて、
それらすべての要素を持っている姿が最善だと、
存在自体が最善だと、
思えばいいと、わかりました。

なお、このヒプノセラピーをしてから
数日後、
できなくて悔しかったことが、
できるようになってました!

学びに出てきた、
「楽しみながらやる」
これをしたおかげかなぁと思います♡

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