生活保護の村

 崑崙村

 廃村目前のこの村に一人の男がやって来た。この男の武器は、スマートフォン。

 男の名は、新丘道屯(しんおか どうとん)。

 この村には、ネットで「幽霊学校」と話題になっている古い木造校舎があった。それに目を付けた道屯は、そこを寝床と村役場とした。誰も村長になる者がいないのだからすぐに実現できた。さっそく、動画をアップし、生活保護を受けたい人を募集した。

 しばらくして、このことを嗅ぎつけたマスコミが取材に訪れたことで、話題となり、大勢の生活保護希望者がやって来た。

 

 道屯は、ほとんど無審査で生活保護申請を受理し、村にある廃屋が住めるようになるまで、村役場となった校舎の空いている教室を住居とした。

 生活保護費は、国が4分の3を負担し、残り4分の1を村が負担しなければならない。しかし、財源が足りない場合は総務省が地方交付税で負担する。したがって、崑崙村は負担する必要がない。とはいっても、国から支給されるまでには時間がかかるので、それまでの間、道屯の貯金を皆の生活費にあて、それと同時に、この実験的な政策を紹介した動画を動画サイトに投稿し、広告収入で財源を確保した。

 生活に必要な物資は、村で一括で購入する。ほとんどが中古製品で、動画で食品ロスで余った食品の提供を呼び掛けると、すぐに大量の食品が集まった。こうした物を利用することで、道屯の貯金はほとんど減ることはなかった。

 崑崙村には、幽霊学校の他にもう一つ、不法投棄村という、うれしくない異名があった。しかし、道屯は動画で、不法投棄大歓迎(ただし、産業廃棄物、医療廃棄物、放射能物質、銃刀法違反などに触れる物、薬物は禁止)と宣伝した。そして、村に来た皆を集めて、不法投棄された物の中から、モーターを探し出すように協力を求めた。皆、村に来てやることがないから、すぐに協力が得られ、大小のモーターが集まった。そのモーターを利用して、風力発電をし、電力を確保した。これらの製作する様子も動画にして、広告収入を増やした。

 次に、この村に出没するイノシシ、狸、熊、時々鹿を生け捕るオリを仕掛け、それらを食料とした。

 しばらくして、国から生活保護費が支給されるようになった。と同時に、地方交付税も支給された。これにより、村営のスーパーが設営された。

 生活保護支給日に、村に来た全員に生活保護費が支給された。そして、この日1日で生活保護費のすべてを、村営スーパーで使うように道屯が指導した。どうせ、生活保護を受ければ、貯金はできない。ちまちま使うのも一度に使うのも同じこと。次の支給日まで、金が必要なら村が融資する。その融資は、金利がなく、無期限返済にしている。

 皆、喜んで村営スーパーで買い物をした。ほとんどが食料だったが、その中でも売れる物と売れない物がある。その理由を皆に聴いて動画として投稿した。

 生活保護者にも売れないとなれば、それはゴミとしか言いようがない。もっとも、そういった商品は、どこの市場でも売れないので、やがてなくなっていく。

 生活が安定してくると、村営スーパーには欲しい物がなくなる。そこで、皆、どんな物が欲しいかを提案するようになった。初めは、現実的な物を欲しがったが、次第に、まだ存在しない物を提案するようになった。

 食べ物など、消えてなくなる物はいいのだが、贅沢品とみなされる物を所有すれば、生活保護を打ち切られるので、そういった物は村からのレンタルとした。

 風力発電をするために集めたモーターの中で、利用されなかった小型のモーターを集めて、浮遊する車椅子が作られた。ドローンの技術を応用し、操作する人が、背もたれにあるグリップを操作することで、移動や停止ができる。人を乗せて運ぶことも、物を載せて運ぶこともできる。不法投棄された物を運ぶのに利用され、その様子も動画で投稿すると、話題になり、製造を申し出る企業に権利を売り、それが村の財源を豊かにした。そのため、さすがに、総務省の地方交付税での生活保護費の負担は辞退することになり、生活保護費の4分の1を村が負担することになった。

 この頃になると、現金をやめ、電子マネーを使うようになった。もっとも、生活保護費は、1日で使い切るので、ほとんど村からの借金をチャージして使うことが多かった。

 子供たちが多くなったが、学校がない。そこで、オンラインによる学習塾の受講をさせた。そもそも、小中学校は義務教育なので、学校に行かせなくても退学になることはなく、この村では学歴は意味がないので、もっと生活に直結した実践的な教育に力を入れた。

 村人が増えてくると、ボランティア活動が活発になり、消防、警察、病院がほとんどボランティアのような状態だった。また、趣味を同じにする者同士でサークルが誕生した。農業、電子工作、音楽、ゲーム、ライトノベル作家、フィギアなど。

 特に音楽が盛り上がり、バンドが結成され、動画の投稿で人気を集めるようになった。それとともに、村にやって来る若者も増大した。当然、そういった若者にも生活保護をした。

 各サークルの人気で、動画の広告収入が増大し、それらは、村の借金の返済という名目で、村の財源となった。

 次第に、妬みから、生活保護費を与えるのは、税金の無駄ではないかとの批判も聞かれるようになってきた。そこで、道屯は、入村から5年以上の者は、生活保護費を停止すると宣言した。ただし、それらの者には月100万円を電子マネーで分配すると伝えた。ただし、残金の翌月繰り越しはできない。このことが動画で知られると、さらに多くの人がやって来た。

 ところで、この村には村議会がない。誰も議員に立候補しないからだ。同じように村長もいない。道屯は、名目上、村長になっていたが、本当は村長代行で、今では手伝いが多くなり、村長代行も怪しくなってきた。

 動画は国内だけではなく、海外でも注目を集め、崑崙村モデルとして紹介されると、同じような村が次々と誕生した。そして、国内でも各地に、崑崙村モデルの村が誕生するようになった。しかし、中には貧困ビジネスをしようとする者がいた。そうした村はすぐに分かり、成功しなかった。その理由は、崑崙村では、税金の流れをすべて動画で公開し、公開しないのは貧困ビジネスだと警告していたからだ。

 他の自治体は、村だけではなく、市や町も税金の流れを公開しないわけにはいかなくなり、公開すると不正が次々に明らかとなった。

 政府は、増大する生活保護費の負担に危機感を強め、負担割合を見直す動きに出た。しかし、世論の反発は強くなり、逆に、税金の流れを公開するようにとの圧力が強まり、第三者委員会により、税金の流れがすべて公開された。

 次々と明るみになる不正に、政府は崩壊し、議員や公務員の財産が没収され、それらの者は、生活保護を受ける羽目になった。

終わり

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