7月は

7月は私にとって広げる時間だった。ひたすら色々な人、色々な物事、色々な景色について考えて、考えて、考えて、情報を取り入れて時に無理やり力づくで自分の世界を広げる作業をしていた。


7月は数年前から私の世界に色をつけ、私の世界を広げてくれた人たちが長い旅に出た月になった。その動くことのない事実によって痛みを抱えている。不思議である。自分とは直接関係のない人達。でもそういうことがこの1ヶ月に感じることが多かった。流石に右も左もわからない赤子ではない。なぜ、どうしてと考えてしまう。

この世界に自分は残されたという事実を受け入れるためには時間がかかる。

去年の7月にある人が去り、ちょうど1年経った今年の7月にそれに気づかされた。私と同じ年に生まれて誕生日もそれほど変わらない。親近感を抱いていた。きらびやかな世界にいることから、憧れもあった。ニュースをみたとき、「どうして。」としか言えなかった。何もかもわからなかった。

今同じ時を過ごしていたら、とifを考えてしまう。やってはならないことだ。

知り合いでも家族でもない奴はいつだって無責任で無神経で、ときにそのくせに知りたがる。自分が勝手に親近感を抱いて錯覚している。その事実も突きつけられて勝手に傷を負った。

これからも誰かの旅路の始まりを知り傷を負い、時間をかけて手当てをするのを繰り返して時を過ごすのだと思う。

出会いも手に入れた。それによってまた私の世界には色が増えた。それまで何一つ思い入れのなかった景色が、数字が、特別に変わる。時に幸せを感じ、悲しみを共有した気になり、道程を見て胸が熱くなる。偶然でありながらそれでいて必然の巡りあいは新しい感情のゆらぎを生み出してくれる。この感覚が好きだ。これはきっと私にとっての麻薬で、その感覚を手に入れ続けるために私は永遠に出会いを求めて、情報の海を自分から泳いでいくのだろう。




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