死は救済か。の話
一時期固定ツイにもしてた『死は救済』。
前に小学校の同級生が『若くして死んだら、多くの可能性を持ったまま死ぬということでなんちゃら〜』みたいなのツイートしてて確かに一理あるなって思ったんよね。肝心な締めが思い出せないという大失態。国民最低。
そもそもなんでこの話書こうと思ったんだっけ🤔
最近物忘れ多くて良くない。おばあちゃんと「若年性なんちゃらじゃね?」って話をしてる。
認知症って、直近のことから思い出せなくなっていくんだって。だから症状が進んだお年寄りとかは子供の頃の話ばかりするようになるらしい。確かに言われてみればそんなイメージ。
てかさっき電車乗ってて会社ケータイに電話かかってきてめちゃくちゃ焦った。登録してない番号だったし多分お客さんだけど誰なんだろ。怖くて折り返せない。折り返せよ。
まぁそんなんで(?)、今の調律師以外にもやってみたいことはある。安直すぎるがハマってる芸人だったり、黒帯ってコンビの2021年M-1のネタで思い出したんだけど小学生の頃の夢だった水族館の飼育員だったり、あとは……あとは…………
?🤔
……イベントスタッフ?とか?うーん、かねだいみたいな爬虫類のいるペットショップの店員とか。もうバイトでもいい。
他やりたいことなさすぎでは。おもしろ。
とりあえずもう調律飽きたよ。耳がいいからってのと、せなさんはかっこいいと言われたい人だから技術職ってなんかかっこいいよなってのと、まぁ音楽好きだし……ってのと、多少ピアノ弾けるからってので調律師になったって感じなのでね。
これがどう『死は救済』に繋がっていくんだ?
普通に思い出せなくて困っちまうこれは誰かのせい。
生き方を誰かに咎められて生きづらくするくらいなら死んでもいいよねって。
そんな話かな?
終始あやふやだな。コラッ💥
多分そんな話でした。
思い出せない。
( ¨̮ )