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「Focus」 vol.2 〜野球の原点〜
現在のYukiに至るまでに大きな影響を与えた出来事や人物を中心に人生を振り返る、「Focus」シリーズ!
Focus vol.1では、3歳の頃に出会ったアメリカ人にすごく影響を受けてマンキーしか言わなくなったエピソードを紹介した。
続いてのLife eventは、幼稚園から小学生にかけて。
始めはサッカー選手になりたかった
僕はよく家族で公園に行っては、ボール遊びをして駆け回っていた。サッカー、野球、バスケと色々やっていた。
ちょっと家族の話をすると、みんな運動に長けていたようだ。(また別途大好きな家族の記事でも残したいと今思った。)
父は中学時代に野球部に所属し、高校時代はバスケットボールの強い学校へ進学しバスケの道に転向。メンバーの中での身長のハンデはあったが今では考えられない「水なんか飲むな」の精神で鍛え上げられ猛烈に練習に励み、見事レギュラー選手を奪取して活躍していたそうだ。確かに父のメンタルの強さは、とんでもない。
母はダンス一筋の人生を送ってきていて、現在も現役のダンサーとしてステージに立って踊っている超人(笑)体育大学舞踊科を卒業し、今は亡き新宿コマ劇場(今はゴジラがいるTOHOシネマになっている場所)で行われていた著名な歌手たちのバックダンサーとして、何度もダンスを披露していた。また、日本で一二を争う大きなテーマパークの最初のダンサーメンバーに選出され、パレードというものを当時の同僚たちと考えながら作り上げたそうだ。(※当時は、歩きながら踊るという概念がなかったそうだ。)
つまり、運動抜群両親のおかげで運動神経も良かったのか、幼稚園に入る前から球技に抵抗はなく何でもこなしていた。
幼稚園に入園後、園舎の横に幼稚園児にとっては大きなサッカーコート(大人ではフットサルが出来るかな位の広さのコート)が建設され、サッカー教室が毎週平日に行われていた。僕はすぐやりたいと言って入会させてもらい、サッカーを習い始めた。(ここがサッカーコート👇)
当時から足の早かった僕は、ポジションなど無視して右サイド⇔左サイドと玉の飛んでいく方向に走っては、ドリブルしてゴールを取っていた。すごく楽しかったのを鮮明に覚えている。
その頃世の中では、フリーキックを見事に決めて日本代表の勝利を引き寄せまくっていた中村俊輔選手の代名詞が「黄金の左足」と騒がれていたり、日本代表の絶対的エースが中田英寿選手だった時代。サッカークラブのみんなの背番号は「7」か「10」にしていて、チーム内には同じ背番号の選手がたくさんいた(笑)
ちなみに僕は「7」をつけていて、将来はサッカー選手になると言っていた。
野球との出会い
サッカーを習い始めて数年後、変わらず土日は父と朝食前の8時くらいに公園で習ったサッカーの技などを披露したり、キャッチボール、バスケのフリースロー対決をするのが習慣だった。すると公園のある交差点の斜向かいの大きなグラウンドに、野球のユニフォームを着た小学生たちが集まって大きな声を出して走っていた。
その集まりは、地元の少年野球チームだった。青葉スターズというチームで、区で優勝を量産している強豪チームだった。当時の僕は何の事もなく、強いなら勝てそう面白そうという感覚でとにかく入りたかったと思う。当時のような、後先を考えず真っ直ぐ走れた自分に戻りたい、と強く思う日も最近はある。
とても良いグラウンドで小学生にはすごく贅沢で、ここが本拠地。芝生の手入れなどは、子供たちのお父さんがボランティアで芝刈り機に乗って外野をゆっくり何十往復もして、整えていてくれた。今振り返ると信じられない待遇ぶり。。。
ちなみに僕の代の公式戦 戦績は、45勝6敗(51試合)と負けなしの最強チームで優勝旗は計7本と年間獲得数はおそらく創部初の好成績だった。毎月祝勝会をやっていたのが、とても想い出深い。
チームスポーツと真剣に向き合い始めた
僕はここで、「野球の楽しさ」と「大勢で同じ目標に向かって取り組むやりがいのようなもの」を、小学生ながらに学んだ。当時の仲間の間には、1人では出来ないからお互いがお互いを必要とし合っていた感覚があった。
正直、野球チームなのにトレーニングとしてボールに触らず走るだけの日もあった。おそらく強さの秘訣だと思う。本当にキツかったが、全然辞めたくなかった。ある種、ハイになっていた感じかもしれない(笑)
この頃に出会った仲間とは、今でも連絡を取り合う大事で大切な地元の仲間たちである。今ではそれぞれが自分の道を歩んでいて中々会えていないが、またみんなで集まりたい。監督も一緒に負け知らず黄金時代の話で、盛り上がりたい。
幼稚園生の時に始めた最初の球技であるサッカーも小学4年生まで両立して続けたが、同じ時期にセカンドのポジションを掴みとってからはどちらかを選ぶ決断をし、野球を選択した。中学に入っても野球を続けて甲子園に出たいと思えるほど、野球が好きになった。
野球は楽しい!楽しい野球を続けたい!
今考えると、おそらく最強チームのメンバーの個々の能力もすごく高かったのだと思う。だから楽しく野球をみんなとやっているだけでも、勝利がどんどん積み重なっていったのかもしれない。
高校野球のほどの技術や人生を懸けた想いなどはなかったからこそ、野球をすることに対する自分の気持ちはすごくシンプルでピュアであり、このまま中学でも楽しく野球をやって行こう!と思いながら地元の中学校に進学できたのだと思う。
いよいよ、本腰入れた野球道へ!