山から「みなと」へ
津山の鉄道博物館を堪能したら岡山へ戻る。
このときは眠りについて、音楽はブレイクタイム。
“瀬戸内の新快速”で南下
岡山まで来たら今度は南へ向かう。
まずは「快速マリンライナー」。人呼んで「瀬戸内の新快速」。
普段から利用客が多く、高松へは「指定席」を使うが、今回は昼間で途中までなので「自由席」。やっぱりどっからどう見ても関西人には「普段着」のように錯覚してしまう。
10数分で茶屋町に着いた。
ただ、どうも後の快速や普通列車でも余裕で乗り換えられたようで早とちりしてしまった僕。
ぶっかけうどん食べれたやん😞
と軽く後悔。ただ戻っても無駄足なので列車を撮りつつ、20分待つことに。ちなみにこの後「ぶっかけうどん」は食べに行った。
“初代”に乗って、感じる歴史
やってきたのは「宇野みなと線」の列車。これに乗って「宇野駅」を目指す。
車両は「213系」。「国鉄民営化」直前にデビューした「最後の国鉄型」。デビュー1年後からは初代「マリンライナー」として活躍し、今と同様「指定席」もあった。2003年に“2代目”がデビューしてから「自由席」は普通列車として岡山県内拠点で走るようになった。数は少ないが、ワンマン運転が半数を占める「宇野みなと線」では対応しているこの車両が優先的に使われ、乗れる機会がかなり多い。
車内は一度リニューアルが施されていて、モダンな印象。見慣れた茶色の座席やドアチャイムなど個人的には親近感。
そんなこの列車で茶屋町を発車。現在、定期では普通列車しか走らないこの路線だが、「瀬戸大橋」ができる前はこの区間がメインルート。特急「うずしお(新大阪〜宇野間、徳島の特急とは別物)」急行「鷲羽(京都〜宇野間)」寝台特急「瀬戸※」など名だたる列車が通っては「宇野駅」から出ていた「高松行きの連絡船」へ繋いでいた。
そのせいなのか普通列車でもかなり飛ばしている印象がある。「四国へバトンを繋げた列車」たちもこんなんやってんやろなぁ、と耽ってみたり。今でこそ橋ができて距離感は縮まったり便利にはなったが、船も船で古き良き旅情があったのではないだろうか。
メインではなくなった「宇野みなと線」だが、観光列車『ラ・マル・ド・ボァ』の登場や「瀬戸内国際芸術祭」の開催「駅アート」などで観光路線として復権してるような印象。どこへ行くのかわからなかったが、欧米系、アジア系問わず人が多かった印象。
約20分で「宇野駅」に着いた。
かつて桟橋へ線路を延ばして貨車や四国向け新車を積み込んでいた名残でホームは少し湾曲している。ちなみに、同じく連絡船があった「函館駅」も湾曲している。
そんな港町「宇野(UNO)」を巡ってみた。「瀬戸内国際芸術祭」に関連して、アート作品が点在する他、駅舎もそれに馴染んでいる。鉄道好きならば、「1時代の栄光が消えた」ということにはなるが、実は「アートの力」を借りて、また違う輝きを生んでいるように見えるのではないだろうか。芸術ってすごい。