見出し画像

旭川神社(北海道旭川市)

美瑛から車で旭川に向かったので旭川神社をお参りしました。
事前情報なしでお参りしたので、予想以上の立派な作りと境内の広さに驚きました。

旭川神社のHPから抜粋すると1893年に建立されてご祭神は天照大御神と木花咲耶姫命。旭川に屯田兵が駐屯したため練兵場の防風林に拝殿、社務所を建設して、伊勢神宮よりご祭神が奉斎された。
なので、境内に旭川兵村記念館や顕勲神社があります。

鳥居をくぐると参道左側に八幡愛宕神社

参道正面には神明造の拝殿にお参りします

現在の旭川市街地から離れた東旭川に建立されたかという説明がHPの別ページに立てれるほどで。

明治23年、旭川、神居、永山が、開村し、25年には、神楽村が開村しました。明治24年~25年にかけて、永山・ 旭川・当麻へ屯田兵が入植しています。その地域から、屯田兵が開墾していますから、そこから発展したことになります。
この東旭川から豊岡・東光にかけての地域は『旭川兵村』でした。その他の区域(現在の旭川市街方面)は、もっと後に発展しており、当時は「忠別市街地」と呼ばれていました。
明治30年になり、忠別市街地の戸口増加(七師団の移駐関連)にともない、同年、ひそかに北海道庁を動かして、本来の旭川であった旭川兵村を永山村に編入し、これを「永山村字ウシシュベツ」と称し、残る地域の忠別市街地を「旭川」として独立させるのに同意させ、同年12月道庁告示により公表したのです。
この処置は、旭川兵村の住民に一言の交渉もなく行われたもので、これを知った屯田兵たちは納得がいくはずもなく猛烈な非難となって村民一丸となって反対運動が起こり、直ちに旭川兵村より井川伊八郎ら五名の屯田兵が北海道庁を訪れ、訴えることになりました。
それにより、非を認めた道庁ではありますが、すでに「旭川」と呼ばれている町を、変更することは不可能であり、打開の策として 明治31年、以下の通り道庁が上げた案で合意に達しました。
~略~
つまり『旭川の発祥であるのは、東旭川であるということを後世に残すため、そのまま学校や神社等「旭川」の名を使用して良い』という許可がおりたのです。
現在も、東旭川の中心にある神社が『旭川神社』。
~略~
一時、永山村に編入されてしまっていた旭川兵村は、再び分離し、ここで初めて、今の「東旭川」という名をつけたのです。

http://www.asahikawajinja.or.jp/sanpai/asahikawatonden.html

ひそかに北海道庁って動かせるかと思ったのですが、このときに上川郡役所が旭川に移転されたり、いろいろあったんじゃないかと思いつつ。。。
八幡愛宕神社近くに地神碑があり、創建時なのか、でも東旭川村と書いているので、でもかなり歴史があるものだとは思います。

北海道にある神社だと歴史がないと思ってしまいますが、『歴史の濃厚さ』では、他の神社と遜色ないと感じます。

旭川神社
北海道旭川市東旭川南一条6丁目8-14
http://www.asahikawajinja.or.jp/index.html

いいなと思ったら応援しよう!