【ウェディングプランナーと共に】
『ウェディングプランナー』
言わずと知れた、
結婚式創りのプロフェッショナル。
その『ど真ん中』にいる人。
『ウェディングキャプテン』という立場として
ずっと結婚式創りに携わってきたが、
実は僕も「ウェディングプランナーになりたい」そう思っていた1人。
新卒入社した企業では
プランナー配属となったものの。
研修の時。初めて見た結婚式。
新郎新婦の前を美しい所作でエスコートする
その人(キャプテン)に心を奪われた僕だった。
キャプテンを何年かやったら
ウェディングプランナーに転身しようと
本気で考えていた。
それに未だに言われることがある。
「それだけの想いを持っているなら、
ウェディングプランナーはやらないの?」
たしかに。
どこかのタイミングで
チャレンジしてもおかしくはなかった。
それでもやって来なかったのには理由がある。
結論から述べると、、、
「僕にウェディングプランナーはできない」
そう思ってしまったのかもしれない。
ウェディングキャプテンとしてデビューして
間もない頃。
僕はもちろん今よりも遥かに未熟だった。
ウェディングプランナーに対して
『敬意』などこれっぽっちも持っていなかった。
「僕の方が絶対もっと良い結婚式創れる!!」
本気でそう思っていた時期があったし、
そういうのが伝わるような接し方を
してしまっていたのも事実。
本当に恥ずかしい、情けないキャプテンだな。
結婚式現場をよく理解しているキャプテン。
新郎新婦の想いや理想を
カタチにしたいウェディングプランナー。
結婚式前日までに行われる施行ミーティング。
ウェディングプランナーが
そこに至るまでの苦しみも、
大切にしたい想いも理解しようとすらせず。
「結婚式の現場」として
美しくならないだろうと思えば、
そのまま言葉に出して否定して、
傷つけていたのかも知れない。
僕も真剣に良い結婚式を創りたい。
その一心だったのには違いないけど。
当時のウェディングプランナーには
本当に申し訳ないことをした。
そんな僕が心から、
ウェディングプランナーに『敬意』を持ち、
「僕にウェディングプランナーはできない」
そう思うようになったのは、
『結婚式創り』その本質を
少しずつ理解できるようになってからだった。
『美しい結婚式を創りたい』と強く願い、
キャプテンとして本気で向き合い続けた結果。
その先で、そういうところへ辿り着いた。
僕はよく、
ウェディングプランナーは『脚本家』
ウェディングキャプテンは『演出家』
こんな風に例えたりしている。
例えどんなに素晴らしい演出技術と感度を
演出家(キャプテン)が持ち合わせていたとしても。
そこに、そもそも『美しい脚本』がなければ、
演出家の介在価値を示すことすらできない。
逆に僕たち演出家達も
そこに描かれた背景やストーリー、
登場人物の心理描写を
繊細に感じ取ることができなければ、
映画になった時に、
あらゆる違和感や乖離が生まれてくる。
脚本家が心を砕いて向き合い、
何度も消しては描いてを
繰り返してきただろうそのストーリーを、
演出家が感度とスキルで『体現』できた時。
初めて観客の心に刻まれるほどの
美しい結婚式(映画)は完成するのだと気づいた。
だとすれば。
キャプテンである僕が、
創り手であるウェディングプランナーの
『苦しみ』も『想い』も『優しさ』も
そのすべてをまずは全身で受け止めなければ
美しい結婚式など創れるはずがない。
そこに気づいてからは
ウェディングプランナーさんと
普段からどんな想いで
結婚式に向き合っているのか?
どんな苦しみがあるのか?
自らそれらを取りに行くことにした。
それだけでも見えてくるものは沢山あった。
『ウェディングプランナー』
一見、華やかでブライダル業界の花形といえる
そのクリエイティブの裏側には
壮絶なものが隠れているように思う。
正直に言うと、
お客様が「好き」「これがしたい」
と言ったものを『手配』するだけが
ウェディングプランナーなら
それは今すぐにでも僕はできると思っている。
だけどウェディングプランナーの本質は
ただの『手配屋』なんかじゃない。
お客様との結婚式創りは、
いつだってゼロイチのスタート。
『本質』と言葉で言うのは簡単だけど。
それが誰かに対する想いなのかもしれないし。
いつかの後悔かもしれないし。
未来への夢や憧れかもしれない。
何もないところから
新郎新婦様の心の奥の奥まで潜り込み、
優しく引き出して来る、途方もない時間。
今回の新型コロナウイルスでは
更に新郎新婦様の結婚式に対する想いは
大きく揺れ動いたはず。
「結婚式がしたい」
「でも誰かを傷つけるかもしれない」
「一番見せたかった人に来てもらえない」
そうやって心の声を叫び続けるお2人に、
どれだけ心から寄り添っていても、
ウェディングプランナーは決して万能ではない。
「やりましょう」「延期しましょう」
そんな言葉も『無責任』な気がしてしまって。
かける言葉も見当たらず、
とにかく寄り添い、励まし続けるしかできない。
そんな状況に自分の力の無さを
痛感した人もいるのだろう。
そして、『正解』も、『カタチ』も存在しない
透明でフワフワとしたものに
どれだけ心を砕いて寄り添い、創り上げても。
最後にそれをカタチにできるのは
キャプテン、サービス、キッチン、
司会、音響、フォトグラファーなど
沢山のクリエイター。
チームでやっていて
沢山の人が周りにいるはずなのに、
どこかで『孤独』と向き合う時間があって、
新郎新婦様とクリエイターの間で
苦しむことも多いのだろう。
僕は何度も言うが、
ウェディングプランナーを経験していない。
これは僕が沢山のウェディングプランナーと
対話したことによって生まれた想像に過ぎない。
だけど、僕の想像はおそらく本当のことで。
むしろそれ以上のものもあるのだろう。
キャプテンである僕が
こんなことを語って良いのかと思い、、
このnoteはずっと公開できずにいた。
しかし、昔の僕のように。
そこに気づかず、向き合うことを忘れている、
現場のクリエイターもまだまだ多い気がして。
おこがましい話だけど、
少しでもそこに気づいて欲しいと願っている。
もちろん美しい結婚式を創り上げるために。
とあるプランナーさんから言われたことがある。
「私の為に結婚式を創らないで」
でも僕は、
『ウェディングプランナーの為にも創ろう』
そう思って結婚式を創っている。
こうして、苦しみの中で描かれた脚本に
僕達現場のクリエイターは
真っ直ぐに向き合い、その想いも背負いながら、
美しい演出を加えてカタチにする。
それはきっと、
新郎新婦様の人生を優しく支えてくれるような
美しい結婚式創りに繋がるはずだと思うから。
ウェディングプランナーという
苦しみの中で美しい脚本生み出すその人を救い、その脚本家はまた美しい結婚式を
必ず創ってくれるはず。
もちろん。プランナーが言うことが、
「なんでもOK」ってことじゃない。
結婚式を創るということは、
誰かの人生に『触れる』ということ。
僕も結婚式を創るプロフェッショナル。
ウェディングキャプテンとして
その責任を背負っているし、
心から良い結婚式を創りたいと思っている。
もし、まだ磨けると思うものが
目の前にあれば僕は一切妥協するつもりはない。
だからこそ、ウェディングプランナーは
誰よりも新郎新婦様のこと。
その結婚式への想い。
それを真っ直ぐに、惜しみなく語ってほしい。
例え、何時間かかっても。
そこに遠慮など必要ないし、
経験も年齢も関係ない。
もちろん一緒に創るキャプテンなどの
クリエイターの感度もあるだろうけど。
諦めずに伝えて欲しい。
唯一無二のその結婚式を語れるのは
ウェディングプランナーしかいないのだから。
その想いが本気なら、
例えカッコ悪いところがあったとしても、
僕なら本気で向き合って、背負って、
必ず最高の結婚式を創ってみせる。
「僕にウェディングプランナーは出来ない」
僕は一応言うと、
やる前から諦めるようなタイプじゃないので
出来ないと言って諦めているとか
そういうことじゃなくて。
ウェディングプランナーへの
心からの『敬意』を持てたのと同時に、
僕はまだカタチとはならない美しいその脚本を、
目に見えるように『体現』することができる
今のウェディングキャプテンという仕事に
誇りを持っているから。
これからもウェディングプランナーの想いと
新郎新婦様の想いで描かれた脚本を手に。
スクリーンの向こう側にいる観客が
息を呑むほどの美しい結婚式を、
創り続けようと思っている。