遊戯王の父親

とあるきっかけで遊戯王の父親について考える機会を得たので、色々と考察した結果を書き留めます。

原作を読んでいる方はご存知かもしれませんが、登場する父親にまともな人物はほぼ存在しません。作者曰く「ロクデナシ親父の品評会」であり「槍」に例えられています。

御伽父:槍を持たせる父親

城之内父:槍を持たない父親

海馬父:槍を向ける父親

花咲父:槍を捨てた父親

マリク父:槍を刺す父親

これは文庫版の10巻のあとがきに記されたものですが、遊戯王@2ch辞典(https://w.atwiki.jp/yu-gi-oh-2chdic/pages/177.html)にてその他の父親についても記載があったので転記させていただくと、

アテム父:槍を残す父親

セト父:槍となった父親

このように評されています。

槍というと大仰で悪い印象を受けますが、あとがきにて槍とは生き抜くための武器であると原作者は語っていますので、見た目通りの凶器の意味以外も持つことは間違いありません。

これを踏まえて、それぞれの槍について考察します。

槍を持たせるとは、作中で御伽父が御伽に対して己の復讐の代行をさせたことに由来するでしょう。

槍を向けるとは己の役割を継承させるため虐待に近い教育を海馬に施したこと、槍を刺すとは墓守の掟に従って行ったマリクやリシドに対しての暴行や入れ墨に由来すると思われます。

槍を持たない、槍を捨てたの違いについては少々悩みましたが、

労働をしないことが己の役割を果たしていない=槍を持たない

息子への間違った愛情で不良たちに屈した=槍を捨てた

と解釈しました。

花咲父の方は上手く言語化できないので、思い付いたら変えるかもしれません。

槍を残すは数々の問題をアテムに丸投げしてこの世を去ったこと、槍となったはセトのため強大な力(=武器)となったことを指しているのでしょう。

映画に登場した獏良父や藍神の実質的な父親でもあるシャーディーもその後10年に渡る悔恨を残しており、やはり真っ当とは言えないでしょう。

父親も完全無欠な存在ではなく、負の遺伝子すらも容赦なく伝承させ、子はいずれ負に立ち向かう運命を背負っていると原作者は語っています。

梶木の父親は唯一といってもいいまともな父親ですが、城之内との決闘で父親の現身である「伝説のフィッシャーマン」に固執したことが梶木の実質的な敗因となっています。

おそらく梶木は父親に立ち向かう(越える)ことができなかったからこそ、城之内に勝てなかったのではないでしょうか。

しかしその後で「伝説のフィッシャーマン」を城之内に渡したことで、乗り越えるための一歩を歩み始めたのだと思います。

次のシリーズを語っていきますが、GXや5D'sは比較的安定していますし、拗れていたとしても大体は修復されています。

かつて険悪だったナポレオン教頭とマルタンや十六夜親子も最終的には絆を取り戻していますし、この二作品で槍に例えられる父親といえば息子のために学園の生徒を利用したプロフェッサー・コブラくらいでしょう。

十代の両親が一切登場しなかったり、小学生だけで生活させてる龍亜と龍可の両親はどうなの?というのはありますが……

また、漫画版でジャックの義父だったレクスは文句なしのロクデナシです。

問題はZEXALです。

前半のシナリオの根幹を担っていたのは遊馬の父親の和馬、カイトの父親のDr.フェイカー、アークライト兄弟の父親のトロン。彼ら三人の過去から生まれる因縁でした。

トロンとDr.フェイカーを例えるならば、御伽父と同様に槍を持たせる父親であり、カイトもアークライト兄弟も父親の意向で行動していたに過ぎません。

彼らの息子たちに対する言動は冷酷なものが目立ち、特にトロンは常軌を逸しており、凌牙戦でのⅣに対する言動やⅢやⅣに知らせず生命を脅かす危険なカードを使用させるなど、息子に対する仕打ちではないでしょう。

事情はあったにせよ彼らにとっての息子は目的を遂行するための手駒であり槍なのです。

多くは語られませんでしたがベクターの父親もロクデナシであり、ZEXALの物語もロクデナシの父親の品評会です。

ARCVで印象的な父親といえば零児の父親である赤馬零王でしょう。

GXのプロフェッサー・コブラに通じるものがありますが、彼は自分の娘を取り戻すために世界さえも犠牲にしようとしました。

融合次元の人々を尖兵として操ってエクシーズ次元の人々をカードに変えて燃料にしたりと、プロフェッサー・コブラに比べると生々しさがあります。

彼に至っては後妻の日美香との間に子供(零児)を授かっていますが、かつての娘と注がれる愛情には雲泥の差があります。

プロフェッサー・コブラも同様ですが、彼らにとっては最愛の子以外は塵芥も同然なのでしょう。

例えるならば槍をばら撒く父親でしょうか。

遊矢や零児の前で己の計画を吐露した時の血走った目をよく覚えています。

遊矢の父親である遊勝は作中での描写が不足しているので語らずにおきますが、作中の扱いに反して歴代の父親に並ぶロクデナシの一人だと考えています。

零王を越える父親は早々現れないと思いましたが、次回作であるVRAINSにてあっけなく登場しました。

リボルバー/鴻上了見の父親である鴻上博士。

やらかした行為が未成年者の誘拐、監禁、拷問であり、その目的が人類を導くためのAiを開発すること。

しかしそのAiが人類の敵になることを認識した瞬間、即座に抹殺しようとして挙句の果てに失敗しています。

解説するとAiの育成には決闘による教育が最適であるため、その辺から子供を六人誘拐してきて、決闘に敗北すると与えられる食事が粗末になる上に電撃を浴びせられるという方法でAiの教育をしていました。

しかも六人のうち一人は了見の友人であり、最終的に幼かった了見の通報により実験は終わりました。

鴻上博士は紆余曲折を経て最終的に作中で息を引き取りますが、Ai抹殺の使命は成長した了見が受け継ぎます。

このことから鴻上博士はアテム父と同じで槍を残す父親と言えるでしょう。

他にも数々のやらかしがありますし、VRAINSの諸悪の根源ではありますが、父親という立場で見ればこれが一番適当だと考えます。

Aiが全滅した後も了見は誘拐事件の被害者の一人との約束でネットワークの監視を続けており、彼は父親の残した業を未来永劫償い続ける人生を送ることになりました。

鴻上博士は息子への愛情はありましたが、他者に対する愛情はなく、独善的で倫理観に欠けたマッドサイエンティストです。

これらの人物が父親に対してどう立ち向かっていったのか。

寄り添い続けたのがアテム、アークライト兄弟、了見です。

特に了見は前述したとおり、父親の咎を背負って一生を生きていく覚悟を背負っています。

どうしてあの父親からこんなに責任感のある息子が生まれたのか甚だ疑問ではありますが、父親に直接対峙するわけではないにしろ運命に立ち向かっていることは間違いありません。

越えようとしたのが城之内、海馬、御伽、マリクでしょうか。

彼らは父親と直接対峙することはありませんでしたが、何らかの方法でその背中を追い越そうとしています。(海馬はアニオリでは実際に剛三郎と対峙していますが)

海馬は遊戯に剛三郎を重ねて打ち倒そうして、御伽とマリクは父親に植え付けられた憎しみを乗り越えて遊戯たちと接するようになりました。

城之内は解釈が難しいですが、映画で将来のことを考えている姿が労働を放棄して酒に溺れている父親に対するアンチテーゼと取れなくもありません。

真っ向から対峙したのはセト、ベクター、カイト、零児の三人。

ベクター以外の二人は実際に決闘という形で父親と対峙しており、特に零児が零王と対峙した時は零王の息子として言葉をぶつけています。

その証拠が一瞬だけ使用した「僕」という一人称なのでしょう。

LDSの二代目社長である世界を守るための組織の長である「私」と零王の息子である「僕」という立場を使い分けていたのだと思います。

もしかしたらランサーズという名前自体が父親に向けるための槍を意味していたのかもしれません。

今回の記事はここまでにします。

本当に語りたい父親は実は別にいて、そのキャラクターを知ったことが本記事を書くきっかけになったのですが、遊戯王のキャラクターではないので記事を分けます。




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