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プレー基準のお話。


"1つ"


私の(私の関わるグループの)2人組の"1つ"のプレー基準として
・胸合わせは足元(お互いが正対した場合は足元にパス)
があります。

あくまで、「胸合わせは足元」"1つ"のプレー基準であり、言い方を変えれば多くの基準の中1つでもあります。

例えば、
・胸合わせ出来なかったら、パートナーを変える基準(ペア変えの基準)
・受け手がスペースに胸合わせしたら、スペースへのパスの基準(→スペースに向かう/向かわない基準も出来る)
・DFが胸合わせ(パスライン)に近くにいたら○○する基準
などです。(もっともっともっとあります!)
難しい事はありません。
個人の感覚に頼りやすい部分を言語化?した感じです。

このように、プレー基準は「胸合わせ足元」だけではありません。
そもそも、「胸合わせは足元だけ」では、解決できない事象や当てはまる事ができない事象が腐るほどありますので、それ以外の基準が作られます。

そして、「だけ」は、目まぐるしく状況が変わり、繋がっていくフットボールにはあり得ないからです。
フットボールだけでなく人生においてもかもしれません

基準を設ける理由

・決断のスピードを上げる為(考える時間を減らす)
・意図の合わないプレーを減らすため(エラーの確率を下げる)
です。

同じ絵を見るってわけじゃないですけど、そんな感じです(笑)
絵を描くために役割をはっきりするってのが近いかなとは思います。

試合や個人参加などでも
・受け手が裏を狙って走っているのに、出し手は受け手がいた場所(足元)パスを出してしまう。
・自分の狙ったプレーが合わなかったら蹴ってしまう
意図が合わないエラーが多いと思います。

そんなような事をずっと抱えていたのですが、数年前ヨーロッパのとある試合を見ていた時に
「あれ?意図が合わないエラーがめっちゃ少ないやん!」
と感じました。

観察してみると。

基本的には、どこのポジションにいても足元でパスを受ける場合は、ボールホルダーに正対し、時にはボールミートしている事に気づきました。

サイドレーンの選手は便宜上、タッチラインと垂直の体の向き(半身になり前を向いている)になりますが、足元でボールを受ける時はスピードをあげていませんでした。
ただ、度々サイドレーンの選手もボールホルダーに胸合わせをしていました

そして一番目についたのは、
中央のポジションの選手ほど「半身で待っていない」のです。

ボールが来るレーンに関係なく、中央にいる選手は、ボールが来るまでは正対を続け、進行方向を変える時(ターン、トラップ)の少しのタイミングで半身となるだけでした。

半身で待つ。で育った世代としては、
「半身やないやん!」
とツッコミを入れないなんてことは出来ませんでした。

「胸合わせ足元にパス」は、コミュケーションとしてのメッセージも強くてないいかも!感じたわけです。
サイドレーンのパスもサイドレーンの選手の動いたスピードに合わせればいいし、無理ならやめれば(パスを出さない)いいなと思いました。
(↑そのまま今でも使っている基準です)

そんな事を気づいてから、ヨーロッパ、南米のサッカーを見るとやっぱり胸合わせは足元が多いわけです。

いつだかのCL決勝をその観点でみていたら、前半で意図が合わないエラーは数回だけでした。

彼らがやってのだから俺もやろう!
という事で、私の(私の関わるグループの)2人組の"1つ"の基準を「胸合わせは足元」とした次第です。

「胸合わせは足元」やってみて気づいたこと

技術的に簡単になる。と感じました。
何故なら、「対面パス」になるからです。
自分の正面に蹴るだけで、サッカー経験が乏しい方でも見えていたら成立します。

付随するように、パスラインが良く見えるようになりました。
メチャクチャ当たり前ですが、「胸合わせ→パス」成立させるには、パスラインがないとだめですからね。(パスラインが無かったら変更する基準になた!)

そして、1番大きな収穫は、
キャンセルの基準、サポートの基準、狙う場所の基準、DFの基準など
「他の基準も沢山見えるようになった事」です

それは前提や認識の話とも繋がっていくのはまた別の話。

切り取らない事が大事。


この「胸合わせは足元」は私(私の関わるグループ)のプレーモデルの1つの決断点(基準)である。という事をご理解ください

ですので、プレーモデルが違えば、別の決断点(基準)になりますので、他人様のプレーモデルなどをとやかく言う為にあるものではありません。
あくまでも、自チームの運用のために設けている基準です。

フットボール同様に、言葉や、その言葉のみ関係するプレーを切り取ってしまうと、非常にもったいないです。

何故なら、運用している方の視点に立てずに、自分の視点のみで答えをだしてしまうからです。
背景まで探り、何故その思考になったのか?と想像する事が大事だと考えています。
なぜなら、フットボールも人生も他人に寄り添っていく想像が重要でそれがないと成立出来ないからです。

誰もが自分は正しいと思う事は普通です。
しかし、自分だけが正しいと思う事は、難しくしてしまう要素の1つだと考えています。

シャペウな人


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