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人は変わる。いい意味において。
人は変わります。いい意味において。
あるいは、もともと隠れていたものが、表に出てくるということなのかもしれません。
例えば一粒の種があったとして、その種から芽が出て、茎を伸ばし、花が咲く。これを変化と言うならば確かにそうでしょう。しかし、もともとあった可能性が発現したとも考えられますね。ひまわりの種から、チューリップは咲きませんから。
ある男性が話してくれたことが、ずっと心に残っています。
「心の中で、自分は家族を重荷のように感じています。一人ならば身軽で、もっと自由に、好きなように動けるのに、まるで車に鉄の塊を乗せて走っているような感じがするんです。」
もしあなたがこのような話を聞いたら、「そんなふうに考えるべきではない」と、つい言いたくなるでしょうか。それもいいでしょうね。時にはそんなストレートな思いをぶつけることが、相手をはっと目覚めさせることもあるからです。
あるいは、こちらの言葉を挟むことなく、相手の言葉に耳を傾け続けることもできます。だって、なかなかそんなこと言えないじゃないですか。彼はずっと胸につかえていたものを、ようやく言葉にできたのでしょうから。
その時出てきた言葉は、「その瞬間の真実」であって、本当の思いかどうかは分かりません。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。だから、一旦その言葉を受け止めて、そこからまだ何かが出てくるかどうかを待ってみるのです。
私たちの心の中では、郵便物を仕分けるような仕組みが働いています。
私たちは、感じていることのほんの一部しか意識できていません。これを郵便に例えるならば、全ての郵便が配達されているわけではないのです。私たちの意識に届く郵便は、意識が受け入れやすいものに限られているのです。
「こんなことは思ってはいけない、そんなふうに考えてはいけない」ことが出てくると、それは配達されることなく、心の隅に追いやられたり、内側に押さえ込まれたり、フタをされたりします。
そして、そんな未配達物で心の中がつかえてくると、段々もやもやした気分が増してきます。流れが滞り始めるからです。
だから、思いを語ることは大切なことです。それがどんな思いであろうと。
そして、その思いを「瞬間的な真実」として、受けとってもらえる相手があることも。そうすることで、滞っていた心が流れ始めるからです。
鉄の塊の話から1年ほどが経った時、もうそんな話は忘れかけていた頃に、その男性がまた話してくれました。
「あれからいろんなことがありました。今では家族に心から感謝できるようになりました。あの時私が、車に鉄の塊を乗せて走っているようだと話したことを覚えていますか。
昨日そのことを思い出しながら、はっと気がついたのです。鉄の塊だと思っていたものは、実は車のエンジンだったと。私はそれがあったからこそ、ここまで走ってくることが出たのです。」
人は変わります。いい意味において。
だから、もし自分自身が、あるいは自分を取り巻く環境が変わらないのであれば、何か自分では見たくないもの、認めたくないものが、心の中に詰まっているからなのかもしれません。
もし、それがそこにあることを真に受け入れることができれば、そして、それが言葉で表現ができれば、それまで滞っていたものが流れ始め、そこから人生が動き始めることもあるのです。