ネゲブ砂漠とイスラエル
イスラエルは南北に細長い国で、国土の約60%が砂漠です。
ネゲブ砂漠は国の南半分に広がる荒涼とした土地で、そのままエジプトに続いています。砂漠というと、鳥取砂丘のようなイメージが思い浮かぶかもしれませんね。実際にはそんな感じではなくて、聖書に出てくる荒野という表現の方が近いです。
とにかく日差しが強く、木が1本も生えていないので、日を遮るものが何もない。つまり太陽からの逃げ場がないのです。年間降雨量は100-200mm程度。1年を通してほとんど雨は降りません。運動会で雨天中止を考える必要はないという利点はありますが、そもそもここで運動会を開催する人はいません。この場にただ10分間立っているだけで大変な、そのような場所だからです。
命の危険を感じさせるそのような場所なのに、この荒野を延々40年間も彷徨い歩き続けた人たちがいます。それがイスラエルの民(ユダヤ人)です。そしてこの物語の中にこそ、イスラエルの民、そしてこのイスラエルという国の本質が読み取れると思うのです。
紀元前13世紀ごろ、つまり今から3300年ほど前に、彼らは長らく寄留していたエジプトを離れ、カナンを目指して旅を始めます。カナンとは地中海とヨルダン川・死海に挟まれた地域一帯のことをいいます。つまりネゲブ砂漠の北に広がる土地です。40年にも及んだ旅の様子は、旧約聖書の出エジプト記、民数記、申命記、ヨシュア記に詳しく描かれています。その数、壮年男子だけで60万人だったといいますから、まさに民族の大移動です。
実際に荒野に立って思うのは、よくもまあこの中を40年間も旅したなということです。
彼らが目指していたカナンは「広い良い地、乳と蜜の流れる地」でした。これは旅のリーダーであるモーセが、神から受け取った啓示の中で示されたビジョンです。しかし、いくら進んでも、そんなところは気配すら感じることができないのです。目の前に広がる土地は、10分間立っているだけでも大変な、運動会などしようものなら全員熱中症必至の、草木も生えない荒野だったのです。
イメージしてほしいのです。例えばあなたが何か目標を掲げて、その実現に取り組んでいたとしましょう。ところが全く思うような結果が出ないのです。さて、あなたならば一体どのくらい粘り強く、あきらめないで取り組み続けることができるでしょうか。3日でしょうか、3ヶ月でしょうか、1年でしょうか、あるいは10年?
イスラエルが私たちに教えてくれることが2つあります。
一つは砂漠の先に、乳と蜜の流れる地をビジョンできる力です。目の前の現実からは到底不可能だと思えるような中に可能性を見る力。「そんなことは無理だ」「到底不可能だ」。そんな私たちの勝手な思い込みは、彼らの前で、木っ端微塵にされそうです。
もう一つは信念です。さまざまな疑いが心の中で頭をもたげても、魂の内奥から聞こえてくる直感を信じて、最後までやり抜く力。この信念の強さにも、ただただ驚かされます。
この2つの力は、イスラエル建国でも示されました。
西暦73年に、イスラエルはローマ帝国によって滅ぼされます。以来イスラエルの民は国を失い、流浪の民となります。しかし、1948年5月14日に初代首相ダヴィド・ベン=グリオンの元に再び建国されるのです。現在のイスラエルは、建国74年の若い国です。
歴史上一度失われた国が再建された例は他にありません。
荒野の厳しさによって鍛え上げられた精神は、イスラエルという国に今でも息づいており、この国に活気を与え続けています。国を失ってもなお、彼らは必ず再興するとのビジョンを持ち続けました。2000年の時を経ても、その信念が揺らぐことはなかったのです。
ダヴィド・ベン=グリオンの墓は、本人の願い通りに、ネゲブ砂漠を見渡せる場所に建てられました。彼は「荒野という困難な場所にこそ希望がある」との信念を生き、「ネゲブの砂漠を緑の園に」とのビジョンを次世代へと託したのです。
イスラエルは国土の60%が砂漠です。しかしそれは現在の姿であって、これから2000年後には、緑豊かな、乳と蜜の流れる地になっていても不思議ではありません。今でもイスラエルでは砂漠の緑化が進んでいます。
ビジョンと信念が、この国を動かしているからです。