思い立ったが吉日

私もnoteをやってみようと思い立ったので、とりあえずやってみた。

感覚で生きている人間なので、ザラザラしているとか重いとか、私の心にはそういう質感があるような気がしている。今は心が尖っていて、強く激しく脈を打っている感じだ。何かを始めるのには最適な質感である。経験則的にね。

私は、ほぼほぼ自分しか見えない世界で生きているように思う。人間を種別に分ける線引きは社会的にもいろいろあるが、私の中には私か、それ以外の人間かしかないみたいだ。だから性別だってなんだって私には不要の価値観なんだ。私が女だって男だって、私があなたと違うのに変わりはないのだから。こういうことを物心つく頃からふとしたときに考え続けてきた。「私」ってなんだ。私を振り分ける社会はなんだ。常識ってなんだ。同じ人間なのに優劣なんてものがあるのか。等々。

こういうことを考えすぎたからか、最近は情緒が安定しない。いつからこうなったかはわからないが最近周りの人間からも情緒不安定だと言われることが増えた。否定はできない。私もどうすれば刻一刻と変化し続ける自分の心の質感を、長時間一定の形に保てるのか皆目見当もつかないのである。

私は矛盾が嫌いなたちなのだが、人間という生き物は矛盾と共に生きねばならない種であると感じる。今でも仲の良い友達が昔、「私は一度嫌いだと感じた人間を好きになることが無い」と言っていたが、全然そんなこと無かった。言っていた事と違うじゃないかと当時は不信感を少し抱いたものだが、今ではそんな矛盾が人間の最も愛すべき所であり、彼女という人間の深みを作り出してるのではないかと思う。

彼女に、他人に関しては…そうである。

私はまだ、自分に生まれる矛盾が許せない。

私の親戚には、小説を書いたり絵を描いたり曲を作ったり、そういう事をしている奴がいる。いろいろあってもう縁は切った。彼は躁鬱病だった。才能に溢れてはいたが、他人を傷つけていた。平気な顔をして。そうして次の瞬間には地獄に居た。自分が世界で一番不幸だという顔をして。詭弁で他人の心を掴み、嘘で弄んで、傷つけて。それで定期的に落ち込んでは自分がいかに不幸であるか、かわいそうであるかをその文才をもってのうのうと語るのだ。

私は成長する度に、奴に近づいている気がしてならない。やっていることも、やりたいことも、やろうとしていることも、どんどん奴に近づいていく。私は、奴になってしまうんじゃないか。私が奴を嫌うのは、私が私を嫌いだからじゃないのか。奴が、私にひどく似ているからじゃないのか。


これ以上考えるのはやめた。


きっと私にしか創れない何かがあるはずだと信じて、創作をしてみようという気になっている。



「私にしか創れない何か」…!!!自分で書いたがあまりにも滑稽だ。自分にしか創れない何かがあるはずだと信じることの凡庸さを、同じ口で語っておきながら。



あまりにも拙い文章で申し訳ない。

寝よう。






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