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『きゅうくらりん』という曲を歌った理由

どうも。ユ乃と申します。いわゆる歌い手をしています。最近改名致しまして、変換が面倒になってしまったんですがそれもすべてエゴサのためなので完全にエゴです!好きに呼んでください。ユノでもゆのでもユンホでもなんでも反応するので。


<注意>

このノートできゅうくらりんを歌った経緯について話しますが、個人的な病気のこと、衝撃的かつ死にまつわる内容、歌詞や動画への考察を含むので上記の事柄が苦手な方や負の感情に影響されやすい人はここでブラウザバックしてください。把握よろしくお願いいたします

ということできゅうくらりんについて語る上で欠かせない原曲様を聞きましょう。

 スーーーーッ…素晴らしい。全く予想のつかない音が鳴っているのに完全に一つの曲になり、負の感情でさえもかわいくポップに消化できる術を持ち合わせすぎていて最高。いよわ様と誕生日が一日しか違わないんですが2000年9/23と9/24の間に何があったんすか❓そもそもいよわ様とTwitter相互なの何故❓神が舞い降りた❓ありがたすぎる。いつリムられてもずっと尊敬しています。AppleMusicで永遠に曲聞かせて頂いています。AppleMusicが一番再生数に対する単価が高いのでね。皆様にもAppleMusicで推しの曲を聞くことをお勧めします。聴くだけで推しに課金できるシステム最高。

 ということで私がなぜこの曲をどうしても歌いたかったのかというと、境遇が私と似ていると思ったからです。

 単刀直入に申し上げます。

うつ病でした!!!!!!!!!!!

 前回のノートをぼーっと読んでいたんですがその時にはまだ自分が怠惰な健常者である可能性を完全に否定できず、クレープを焼き続けることによって思考を完全に放棄していましたね。

 で今回うつ病であることが明らかになった経緯なんですが

 単刀直入に申し上げます。

自殺未遂をしました!!!!!!!!

それで大病院に移されるにあたって紹介状を頂き、そこに鬱病と書いてあることを知って私うつ病やったんや~と思いました。何となく鬱じゃないかなという感じはあったんですがいざ鬱ですと言われると肩の荷が下りることもあればなにか背負うものもありますよね。病気であると発覚してしまったので薬代と通院代が定期的にかかるわけですしどうやら幼少期から積み重ねてきたトラウマとかが積もり積もって最悪の価値観を生み出しているのでカウンセリングが必要で、別途費用が掛かると思いきや私立の大学に通っていることもありそこら辺の支援体制はしっかりしていてカウンセリング代は学費に入っているようです。このタイミングでよかった。不幸中の幸いってやつですね。(カウンセリングは2時間で1万円超えます。ひえ~!)

要するにちゅうぶらりんになりかけたことがあったので、ちゅうぶらりんになった彼女の気持ちがよくわかるような気がしたんです。

私がうつ症状を発症し始めたのはまだ私が毎日学校に通っていた高校3年生の時だったので毎日見る友達の顔を見て安心したり、安心するはずなのにどんどん学校から遠のいていく足に疑問を感じていたりしました。

ちゃんと笑えなきゃね 大した取り柄もないから

何となく空虚になって大学受験のモードに自然に移行していく閉鎖的学校生活の中で、私が生きていく権利は笑っていることや笑わせる事でしか得られないと思っていました。まあほとんどが自虐ネタだったりしたので笑ってくれる友達を見て安心しながら心の傷を雑に応急処置していたんでしょうね~ずっと何かが埋まらないまま(もちろん自分の精神に精いっぱいで恋人なんかできようもないので)笑ってすべてごまかしていたきらいはあると思います。これはのちに出てくる歌詞にも共感する部分があるんですが、無理に笑わせよう、笑おうとする癖が抜けなくて、友達と話していた時間はとっても楽しかったはずなのに別れた瞬間安堵がやってきてしまうんです。今日もうまくやれたはず。今日もうまく笑えたはず。そういう安堵は最近消えつつはありますが毎日顔を合わせなきゃいけない高校のクラス制の中だと特に感じていた気がします。

例えば 今夜眠って 目覚めた時に 起きる理由が ひとつも 見つからない 朝が来たら わたしは どうする?

これは私の場合コロナ禍で起こりました。起きる理由も私を縛る外的環境もすべて断ち切って惰性だけで七畳の部屋の天井をぼーっと眺める人生が1年半ほど続きました。自分で何かを縛ろうとしてもうまく縛れなくて、そのまま放棄してしまったり。朝が来てほしくなくて、永遠の眠りがあまりにも恋しくて、ずっと寝続けてみたり。そんな人生を続けて、家族にも気丈にふるまって、でも自分の人生はどこに向かってどの結末を迎えるのかわからない。このまま眠るように終わってくれたらどんなに幸せか。そう考える日々を乗り越えたこと、今考えればとても表現者としては実りがあったのではないかと思います。

ああ 虹がかかってる空 きれいと思いたくて 焦がれては逃げられないこと みんなにはくだらないこと もう どうしようもないの わたし きゅうくらりん

うつ病の症状の一つとして、趣味が無くなるというものがあります。私の趣味について話しましょうか❓歌うこと、踊ること、音楽を聴くこと、K-POPアイドルのステージを分析すること、アニメを見る事、声優さんのイベントを見る事、朗読をすること、ドラマを見る事、フィギュアスケートを見る事、太鼓をたたくこと、少林寺拳法、素敵な街を歩いて景色を楽しむこと、そして趣味について喋ること。

これがすべて消えました。

全てが死への渇望に変りました。

趣味がないとなるとメンタルの回復方法が本当になくなるので防戦一方というか、ホイミもないというか、じりじりと崖に追い詰められて飛び降りる事しか考えられなくなるんですよね。

私がきゅうくらりんのファンアートとして描いた絵は”Noisy”と名付けているのですが、そこに書かれている事項は私が絶賛鬱状態の時に考えていたことです。

自死、死に方、友達は?、恋人は?、家族は?、終わりたい、でも死んだ後にかかるお金は?学校は?何を目指して生きているの?どうして生きていなければならないの?やりたいことは何もなくなったのにやらなければいけないことはどんどん積もって、自分の能力は勝手にいろんな評価を受けて。今何をするのが最善なのか。

全ては死んだら解決するんです。そこで私の物語は終わりだし。もしかしたら現実なんてなくて、全て幻想で、脳みそだけが培養されて信号だけが送られてヒトとして生きた気になっているだけの仮想世界を見せられている可能性って誰も否定できない。

全ての荷を下ろして、そしてそれで相対的な幸せを得て、優しいあなたの胸で泣けたなら。

死は不幸せだって誰が決めたんですか。

最高の幸せを感じた後に必ずやってくる暗黒のような不幸せがどんなに恐ろしいか。

樹海で死を選ぶ人々は木漏れ日のなかで穏やかな時間を過ごしてから最期を迎えることが多いとどこかで読んだことがあります。

わたし ちゅうぶらりん

その瞬間、世界で一番幸せな女の子だと思います。本当に幸せでいっぱいだ。そういう気持ちでこの歌詞を口にしました。

伝わっていたらうれしいです。


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