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「形神兼備」。「形」ができなければ、「神」を語ることはできません。

先日の一水空YouTube公開練習で、「形神兼備」について話しました。

 中国語のもとの意味は、
 「優れた芸術品は、形式・精神の両面を備えている」ということです。
私の書道の先生から紹介された文章のなかで、「形」と「神」についての話があり、
 一水空の理念と重なる部分を感じたので、皆さんに紹介します。

 原文は、次の通りです。

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 「形神兼備」 を 一水空の言葉に置き換えてみると:
 「形」は形、身体で作られたカタチのこと。「神」はここでは精神活動だと解釈します。
 書道と絵画の世界では、上の文に書いたように:「形」があった上に「神」が生じる流れです。
 つまり「形」がなければ、「神」を語ることはできません。

 しかし、現代人の「脳の肥大化」という表現があるように:身体を磨くことをせず、 頭で考えることだけが膨らむという傾向があります。
 様々な情報、メディアが私たちの周りに溢れています。
 部屋から一歩も出なくても、世界中で起きていることが分かる時代なので、”たくさんの知識を知ってる”と「錯覚」してしまいます。それが一体どれぐらい自分の身体に入ったものなのか、はっきり答えられる人は少ないと思います。
 現代人は「deep thinking」が苦手になっているというのは、このことを言うのでしょう。

 何かを成し遂げようという目的があるのであれば、強い意志とある程度の継続的な働きと困難を乗り越える作業が必要です。
 これらの条件が揃ってなければ、目指すゴールに到達するのは難しいではないかな。。

 以下は私の感想です。
 いま、各ジャンルでの様々なパフォーマーや一発芸のタレントなど、一時的な話題で取り上げられる「はやりもの」が後を絶ちません。
 一方、「型」(形)を重んじる茶道、深い精神世界の「神」を「形」に託す華道のような伝統文化は、何百年も受け継がれています。
 インスピレーション、瞑想、祈り。。など、精神世界の力を訴える活動を続けている方を、尊敬します。
 愛、感謝、平和の強いメッセージを、脳とこころの動きだけにとどめず、更に自らの身体にのせて、「形」として発信していくことが、もっと確実な方法であると私は思います。

 一つの例を挙げると:
 今日の動きの中に、「青龍明目」があります。
もし私たちが「青龍」を頭の中でイメージしてみると、おそらくそれぞれの「青龍」の姿を思い浮かべることが簡単にできると思います。
 しかし、その青龍のイメージを、どれくらい集中して思い続けることができますか? たぶん30秒も続かないでしょう。
 脳の関心は、すぐほかの物象に移ってしまいますから、一つの思いはそんなに強く長く続きません。これは脳の活動の生理的な特徴です。
 しかし、もし身体の動きと共に行えば、動きが続く限り「青龍」のイメージも思い描くことができますね!

 「愛&感謝」の素晴らしいメッセージも同じです。
それに応じた身体の動きと呼吸(身体内部と外部をつなげるツール)を使えば、とても強いメッセージを送受信することができます。
 この思いをまた表したいのであれば、またそれに対応する動きをすれば、よいのです。
 それを毎日決まった時にやれば、その思いを確実に再現することができます。
 一水空において、「形」がなければ、「神」は続かないということです。
 目に見えないこころの活動だからこそ、動じない「形」を作り上げるということが、大事なスタート点になります。
 遠くまで発信するには、アンテナが必要です。今でいうサーバー?のような「媒体」が必要です。
 私達の身体は、メッセージをキャッチしたり、発信したりするための、「媒体」という役割を担うことができます!

 いまは、短時間で効果を得るためのさまざまな”テクニック”があるようです。しかし、様々な短絡効果だけを求めていると、方向性を見失ってしまう危険性があります。
 自分の方向を定めるために、最も頼れる物差しは、それぞれの身体の素直な反応と身体の声だと思います。

 これを話した日の練習映像です。


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