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「美意識」について

2021年6月26日一水空塾での話をまとめてみました。

5月の一水空茶話会の時、「美意識」というテーマでした。
しかし、美意識というと、あまりに膨大で、漠然としたものなので、
オンラインレッスンに参加する一水空の皆さんに、「お気に入りの宝物を見せて、その思いを語りましょう」と呼びかけました。

予想より皆さんの話がとても盛り上がりました!
米粒サイズの仏様から、ガラス珠に描かれた美しい鳳凰、お茶の先生は茶道具に込めた様々な思いを語りながら、茶道の深さを紹介してくれました。

茶話会で最後に発言した方は、アフリカの「自然のファッション」を見せてくれました。調べましたら、こんなリンクがあったので、張っておきます。

私も「美意識」について考えました。

「美意識」の言葉を見たとき、私は、
綺麗、美しいの他、こんなことも浮かびました:
心地がよい、無駄がない、合理的、洗練されている、繊細、機能的(機能美)、落ち着く、エネルギッシュ、活力、... などなど。
私の師父は尹氏八卦掌を教えてくれたときに仰っていたのは、
「武術」は「武」の「芸術」である。

『世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるか?』という本のなかで、
これからの社会は、理科的な知識よりも、繊細な美的センスは生かせる領域が広いだと主張していました。

あの有名なアップル社の誕生は、スティーブンジョブスの存在と離れられないのは、誰でも知っています。
しかし、ジョブスは殆どITに関しての専門知識はなかったようです。
彼は大学で専攻したのは、「西洋カリグラフィー」。文字をデザインする?いまいちピンとこない、実用性がなさそうな専門でした。
しかし、この「美的」センス追求の延長として、世界で唯一無二のアップルブランドが生まれたようです。

さて、私は用意した写真をお見せしましょう。

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一水空の知子先生はFBでアップした写真です。知子先生のコメント:「超ランダムに出てきたFB広告の写真に玉様がいて、3度見くらいした」!
はい!私も三度、三度以上、布団ではなく玉三郎さまを見ました。(笑)

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次は私の八卦掌師父の写真。ただ本を手に取って読む姿ですが、師父の沢山カッコいいポーズの写真と違った雰囲気で、私が大好きな一枚です。

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次に見せたこれらの写真は、本『身体の感覚を取り戻す』(斉藤孝著)から借りしました。
 ぜひ写真の説明文も合わせてご覧ください。
 また、「自然体の場合は、しっかりと地に足が付いており、その大地との繋がりの感覚が腰と肚に繋がっている。上半身の無駄な力は抜いていて、状況の瞬時の変化にに対して柔軟に対応できる構えになっている。」 (同じ本からの抜粋)

 上に見せた二つの動画:足元は激しく床につつきづけるフラメンコも、ゆっくりと高揚していく『ボレロ』も、身体の軸の強さを感じずにいられません。

 玉三郎さんと八卦掌師父の写真は、日常の一コマ過ぎませんが、何とも言えない落ち着きと存在感は伝わります。このような身体感覚は、繰り返しの鍛錬によってようやく身に着けるようになっています。知らずの間に、身体に出来た「技」ですね。
 無意識のなかで、身体に染み付いた「自然体」こそ、美の究極の現れ方だと私は思います。意識せず、自然に出来上がったもの。

 『自然体の作り方』(斉藤孝 著、太郎次郎社 2001年出版)にこのように書いてます(P14ー15):
 「しっかりと立つ」ということは、ふつう考えられているよりは難しいことである。街を見渡してみて、「この人はしっかりと立っている」と感じられる人は、どれだけいるだろうか。
 立ち姿に存在感を感じるような立ち方となれば、いっそう見つけるのが難しくなるだろう。長時間立ちつづけるためには、合理性がともなっていなければならない。
 合理的でなおかつ存在感のある立ち方となると、それは一つの文化であり技である。それぞれの人間がふつうに生活していて、なんとなく身についてくるような質のものではない。 
 九九を覚える練習や書き取りの練習をしなければ、そうしたことが身につかないのと同様に、「合理的で存在感のある」立ち方もまた、身につけるのには修練が必要なのである。
 体力の低下傾向も、こうした姿勢の崩れの大きな要因ではある。身体を多く使う生活をしなくなれば、生活上の体力は当然、落ちてくる。長い距離を歩く力の低下は、その代表である。
 しかし、事はそう単純ではない。体力測定の数値では、かならずしも姿勢の質を測ることはできないからである。立つ・坐る・歩くといったことには、基本的な型がある。この型の修練が軽視されたままであるならば、たとえ筋力があったとしても、それほど質の高い姿勢や動作を期待することは難しい。型の喪失は、文化的にみて莫大な損失である。

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 (上の写真は尹氏八卦掌の「金鶏独立式」、リンヤン)
実は、一水空の動きはこのような「身体感覚を磨く」ことをコンセプトとしています。ごくごく普通のエクササイズに見えますが、繰り返しの運動によって、しっかりと身体の軸づくり、最初のステップは:「合理的で存在感のある」立ち方を培おうとの願いを込めております。

 最後にこの質問を問いかけました:この美味しそうなリンゴは目の前にあるとしたら、あなたはどのように使おうと思います?

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 皆さんから:そのまま生で食べる。アップルパイをつくる。ジャムにする。神棚にお供えをしておくの答えもありました。
 西太后様は、部屋中でリンゴで小山を作って、香りを楽しんでいました。ほかに、リンゴをオブジェとして静物画の描く対象や、皮を肥料に使うこともできます。
 ただ一つの果実、これだけの使い方があります。
 もし「一水空」の運動をリンゴに例えると、私はこのように考えます:種として土に撒き、数年後に立派な樹になるのことを期待します。
 いまの社会風潮は、どうしてもすぐに味わえる効果を求めたくなります。しかし、安易に手に入る効果は、簡単に消えるものでもあります。長い年月をかけて、反復の訓練によって磨き上げた身体文化と精神は、だんだん失われていくのは、残念なことです。
 この微妙な、繊細な「無意識のうちに築き上げた自然体の美」は、これからの社会で、大いに意味があると私は思います。
 「AIの脅威、人間の仕事は機械に奪われる」などの危機を訴えるなら、人間として特有の感性と感覚を大事にするところから始まったほうがよいではないかと思います。
 同じ運動しても、着点をどこに置くかによって、意味は違ってきます。

https://yishuikong.com/ 一水空の仲間を集います。



 

 






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