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【日本語訳】 邓孝慈 《Madame Figaro MODE》 2021年8月刊 インタビュー

こちらは2021年8月25日に公開された記事を日本語訳したものです。つたないうえに意訳も含まれますが、ご容赦ください。

IXFORM-邓孝慈:精神世界の王者

01 時代の美的感覚に合った外見

邓孝慈のカメラに対する敏感さは、まるで彼が自身の美貌を自覚しているようだ。
もし思いがけずに人生のコースを変えていなければ、彼はきっとカメラを構える側にいただろう。
ただ少し位置が入れ替わっただけではあるが、レンズの中に写る彼ははっきり理解している。

彼ほど自分を適切に見せる方法を知っている人はいない。
手を振り、身体を横に傾け、額を上げる。
ささいな表情の動きでさえ流れるようにスムーズで、自然に形成された美しさには、つくられた気配は少しもない。

この23歳の少年は、かつてゴールドフレームの眼鏡をかけ、ほんの数秒カメラに抜かれただけで、その美貌で一気に世間の注目を集めた。
あるいは美貌でというより、集団の中で浮いた、俗世から離れたようなその気質で。

ファンの言葉を借りると、彼には強い冷たさ・疲れ・麻痺の雰囲気が漂っている。

“冷たさ”は顔の高潔さがもたらす距離感。
“疲れ”は顔立ちに表れた気だるさ。
“麻痺”はすべてを簡単に手に入れた後、何にも興味を持てなくなったような退屈さ。

邓孝慈は、瞬く間に世間の注目を集めることができる自身の美貌について、冷静にこう認識している。

「実際、一人一人の美的感覚はみんな違う。僕が幸運だったのは、僕の外見はこの時代の大部分の人の感覚に合っているらしいということ。
これには良い所もあれば、良くない所もあります。良い所は、比較的注目してもらいやすいという所。悪い所は、その分より多くの努力をしなければならない所。」

「他人の中の第一印象を打ち破るのは難しいことです。特に第一印象でハードルを高く上げられてしまった後、ひとたびそれを越えることができないと、落差がとても大きくなってしまう。
これが、僕がこの業界で発展していくにあたっての最大の障害かもしれません。」

しかし、このことが彼にプレッシャーを与えることはない。
相手が誰であろうと、彼は他人の顔色を伺って自分を曲げることはしない。

「僕の自意識はとても強烈で、すべての自信の源になっています。だから僕は自意識を踏みにじるようなことや、打ち砕くようなことは絶対にしない。
それもあって僕の性格は万人に受け入れられるものではないですが、別に気にしていません。」

一方では同族以外をシャットアウトし、また一方ではファンのことを深く愛している邓孝慈。
彼の目には、ファンは幸運にも巡り会えた同類として映っている。そして、同類だけが互いに惹かれ合うものだと信じている。
だから彼も出来るだけ皆の願いを叶えるため、時には自撮りを投稿したり心情をシェアしたりして、ファンとコミュニケーションをとっているのだ。

VLOGを待ち望む声が多いのは彼もわかっている。だが以前の肌荒れのせいでメイクをすることができず、このところは動画を上げることが少なかった。
今後は旅行に行くことがあればVLOGを撮影し、ファンのもどかしさを解消する、と彼は約束した。

02 “彼は自身の詩と狂気”

半年前の邓孝慈はただの一人の素人だった。
1998年に貴陽で生まれた彼は、10代にして単身アメリカの高校へ通い、その後ペンシルベニア州のテンプル大学写真学科へ進む。
20歳になる前まで、芸能界に入ることは考えていなかった。その彼がなぜ現在のような考えになったのか?

「僕の人生にはこういう可能性もあると思ったからです。それなら、失敗しても受け入れられる年齢のうちに、ちょっと試してみてもいいなと。」

かくして、全員が一様に夢の実現を目指す中で、彼は異質な存在となった。

まさか自分が残れるとは思いもせず、カラフルな装飾の靴一足しか持ってきていなかった邓孝慈。
《青春有你3》参加者のほとんどに草の根的な必死さがある中で、彼はまるでそこでの生活を体験しに来たようだった。
そして、どんなやり方で彼を束縛し誘導しようとしてもどれも意味はなく、彼は最後まで予想通りには動かなかった。

最も重要なのは、彼は何事も取りつくろわないということだ。彼はただ、こう思ったらやる、という人間なのだ。そこに迷いはなく、何かを始めるにも辞めるにもきっぱりと決断を下せる。

現在、邓孝慈は芸能人としての仕事をスタートさせた。しかし、彼の内面は相変わらずとても無防備なままのように感じられる。
心のままにしゃべり、心のままに動く。いわゆる芸能人の警戒心というものがない。

だが彼と半日でも一緒に仕事をしてみれば、あなたもこう感じるだろう。
10年後20年後でも、彼は依然としてこのように自由で、率直な精神を持ち続けていると。

この段階の邓孝慈は原石に似ている。
精巧な彫刻よりも力を秘めているが、そこにはある種の矛盾も存在する。
これから彼を迎えるのは、磨かれ装飾されるという、必然的に経験しなければならない工程だ。

これらの外力は客観的に存在し、変えることはできない。そして、彼が自らの本当の個性を守りたいと執着する内力と、互いにせめぎ合う関係にある。
彼もこの状態に気づいているが、すぐさま進んで受け入れた。彼からすれば、こういった矛盾すら一種の戦闘力なのだ。

事実、邓孝慈が最も人を惹きつけるのは、まさしく彼が持つ顕著な矛盾感だ。
彼は何層にも重なった殻をまとっている。冷淡で脆弱に見えるその殻を一層一層はがしていくと、彼の本質と印象の中のひねくれた少年はまったく異なっていることに気づく。

見知らぬ相手には無口だが、気心の知れた相手にはかなりのおしゃべりになる。親しい友人たちの中では、彼は高嶺の花でもあり、ユーモアにあふれた喜劇人でもある。
また彼を理解するファンは言う。
彼は白い花のような外見に、戦士の心を持ち、柔軟でありながら強大でもあると。

「わかっています、僕は変わってるって。これが僕だし、二度と変えるつもりはないです。
でももし僕の奇妙さが誰かを傷つけてしまうなら、その時は優しい奇妙さを選びます。」

邓孝慈と話している時の感覚は、画廊で絵を見ている時の感覚と少し似ている。
多くの質問に対する返答はすべて表面だけにとどまり、詳しく聞く機会を与えてくれない。我々は彼の深意を推察することしかできないのだ。
まるで、彼がWeChatモーメンツの最新の投稿でシェアした曲——魏如萱の《Ophelia》のように。

あらためて久しぶりに聴くと、また違った感じ方をする、と彼はつぶやく。どこが違うのかは明らかにしなかったが、彼は強調するようにこう言った。

「“もう一度”があるとしても、僕はまた同じ選択をします。」

この曲を理解できる人は、邓孝慈の内側にさらに近づくことができるのかもしれない。

03 未来の無限の可能性

この期間に十分休養できたのだろうか。
ひんやりと冷たいようなイメージが強い邓孝慈は、意外にも真夏のような明るい雰囲気を漂わせ、すっぴんでも目が離せないほどの強い光を放っていた。

だがこの“光”という表現について、彼は非常に冷静な反応を見せた。自分の肌は白いから光を反射するのだろう、と。
そしてその身体の真っ白な肌について、自嘲気味にこう加えた。その原因は太陽の光を浴びないからだと。

“引きこもり”が彼の基本的な日常だ。
もちろん、夕陽が沈む頃には、時たま散歩に出かけることもある。頭の中を空っぽにし、あてもなくただ歩くのが好きなのだと彼は言う。

レッテルを貼られることを最も恐れる邓孝慈だが、ファンから“悟り系”認定されていることについては否定しない。

「僕の性格は今までずっとこんな感じです。どんな物事に対しても、あってもいいしなくてもいいというスタンスで、欲もそんなに強くはない。
もっと強いのは精神世界での欲望です。」

2021年は彼にとって奇妙な年になった。人生の岐路に立った彼に、新しい世界が真正面から押し寄せてきた。
そこで彼が痛感したのは、日々新しい自分と向き合い、受け入れることに慣れていかなければならない、ということだ。

変化と成長は刻々と行われるものであり、今日の考えは明日の自分に覆されるかもしれない。
しかし、このような急速かつ激しい変化と成長こそが、彼をありのままの完全な姿へと近づけていくのだ。

邓孝慈はこの半年間という短い時間で素人から芸能人になった。十分輝かしい道のりではあったが、その中で彼は強く実感させられていた。
これから進むこの道では、挫折が常につきまとい、傷つくことも洗練の一種となるのだと。

しかし“悟り系”の精神を持つ彼にとっては、業界や市場の変化に遭遇しようが、世論環境の変化に遭遇しようが、気持ちの変化に遭遇しようが、どれもただの過程に過ぎない。

「多くのことは僕たちがコントロールできることではないけれど。それでもこの世界と僕たちには、無限の可能性があるんです。」

このような変化が激しい環境の中でも、邓孝慈は決して自身を枠にはめたり、制限したりはしない。
そして未知は彼をさらに奮わせる。彼は心の直感に従うまま、あらゆる限界を突破し、生命の素晴らしさを探求していく。

実際、彼は様々な形式の仕事に興味があり、より多くのはじめてを体験したいと思っている。
現在彼が最もチャレンジしたいのは俳優だ。役を通して様々な人生を体験してみたいと言う。

だが少なくとも今の段階では、自身の力相応に、比較的自分と近い役を演じることから始めたいと考えている。
そうすることで、彼自身のびのびとした状態で、俳優という馴染みのないフィールドに進んでいけるのだ。

もちろん、邓孝慈は自分が今いる場所の危険性を理解している。
土台は不安定で、作品を積み重ねていくための時間も資源も足りず、下からの突き上げが激しく彼を襲う。彼の頼みの綱は、その自信と堅持だ。

「あなたが堅持しているものは、もしかしたら今の所なんの反応も見返りも得られていないかもしれない。
それでも僕が言いたいのは、少し休んでからまた続けて、自分のやりたいことと自分を持ち続けてほしいということ。」

「たとえ今は反応や見返りがなくても、いつかきっと、あなただけの理解と支持を得られるから。
これが、この世界に対する僕の堅持と見解です。」


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記事原文(2021年8月25日公開)
🔗https://mp.weixin.qq.com/s/Vlo-725SdxF1DNlsZh-Pbg

画像
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動画①予告
🔗https://m.weibo.cn/7292555915/4664643781659394

動画②イメージ動画
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動画③インタビュー
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日本語訳:178(@cwei_chudao)