解放と発散

2024/12/17

苦しい 苦しい 苦しい
物理的な苦しみも
物理的になれない苦しみも

ぜんぶぜんぶ、
片方が増すと
もう片方がましになったように感じるので
押し付けあって

切れば
解放感
脳からなんにも
出なくなったら
絶望感
傷は
治る

吐くのは
くるしい
吐かなくても
くるしい

太るのは
怖い
痩せるのは
怖くない

吐くよ

3回吐くと
熱が出る
熱が出たら
動けなくなる
動けなくなったら
太るのが怖くなる
また吐くよ



脳が刺激を
欲している
それは
三代欲求に承認欲求
所有
独占
依存
そしてそれらを発散

欲求が
ないとき
ひとは
何で発散するのだろう?

それは解放になる。
苦痛からの。
自分でも理解し得ぬ
くるしみからの。
だから肉体の皮膚を切り開いてみたり、
露出した写真をインターネットに放流して、
みずからの無い承認欲求を煽っては
ただそこに
群がるコメントの濁流に
不快感を覚える。
そうして
それを飲み込んでから
吐くと
より、
解放されるのである。
切ると、
より、
流れ出ていくのである。
くるしみが。

くるしみを外に出すためには、
水のようなくるしみが必要だ。
わたしたちが蓄積したくるしみは、
かたくかたく閉ざされて、
骨に固着して歪んだわたしたちをかたちづくっているので、
水を、
どこにでも転がっているうすく濁ったくるしみを飲み込んでは、血中に溶かして、
それが骨を少しだけ溶かして、胃や、血の中の水に溶け出て、
それを出すことでわたしたちは、
解放される。

気がする。

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