合唱団やえ山組第10回演奏会
もう一昨日ですが、合唱団やえ山組の10回目の演奏会が終演しました。ご来場いただいた方はありがとうございました。J.S.バッハのロ短調ミサ曲という大作をこれ以上ないほどの共演者、合唱メンバーと共にでき、素晴らしい時間でした。
(素敵に撮っていただいたお写真お借りさせていただきました🙇♀)
■オケでは、長岡さん、北川さんのディレクションが素晴らしく、短い言葉の中にしっかりと演奏する際のポイントが的確に捕らえられていて、感銘を受けました。
また、管楽器隊も古楽器のため、現代のものに比べて相当難しいはずなのですが、それを感じさせないほどで感服でした。正直ホルンは、吹奏楽などでのハーモニー楽器としての役割くらいしか存じ上げなかったので、あんなにも器用に細かいパッセージを吹きこなしていて、もうリハから感激でした。
そして、バスパートを歌った身からすると、通奏低音隊の偉大さよ。正直、立ち位置の関係でよく聞こえなかった部分は大きかったのですが、録音でいかに我々が通奏低音隊に導かれていた方を痛感しました。
■職業柄、このところ土日がなかなか埋まってしまっていて(有り難い話なのですが)、練習参加頻度が少なくなってしまい、一筋縄ではいかない作品にも関わらず大変なご迷惑をおかけしてしまいました。しかしながら、それでいて自分の声はそれなりに大きいために、一緒に歌ったときのバランス感覚を取るのにも時間がかかり、本当に不出来ですみませんでした。
このところ、これも有り難い話なのですが、どこに行っても「先生」扱いになってしまうからこそ、自分の認識を振り出しに戻してくれる貴重な環境です。(いや、自分が振り出しから進んでいることすら誤解かも?)
ソリスト陣は百戦錬磨の方々でしたが、個人的にはとりわけバリトンの加耒徹さんを真近で聴けて大収穫でした。先のような歌への未熟さを思うからこそ、ひとつ目標のような方を見ることができた気がしました。目標にするなど、それすらおこがましい話ではあるのですが、明確な憧れとして自分の歌を磨く必要性を強く思いました。
(と言いつつ、このところ、歌や指揮、指導以外の事務作業もそれなりにあって…。そんな時間のやりくりから見直さなければと思い直しているところです。)
■大学一年の後期、割とノリと勢いで参加した青山組。これが今こうして、自分の活動の蓄積になっていることが感慨深いことです。いつの間にか10回も演奏会を重ねて来れたことは色んな意味で奇跡のような気がしています。きっとそのうち活動なくなっちゃうんだろうな、なんてことを思ったときもありましたし、正直今でも何かの拍子に活動止まってもおかしくないとすら思っています。それでも、どうにかこうにかロ短調ミサ曲まで達成してしまいました。冷静になってみると、ほんと、よく実現できたな。と。
■マウント取るとかではないのですが、このやえ山のコンサートに9回出てきて思うことがあるとすれば、この団体がそれぞれの人にとって合唱活動の何らかの交差点になっているのが嬉しいです。別にこの団体を立ち上げたわけでも何でもないので、こんなことを言う資格はないのですし、手前味噌すぎる発言もこんな高らかに言うべきではないとも思うのですが、
やえ山を介して色んな人たちやグループの交流が生まれているように思っています。人と人が出会ってまた新たなムーブメントを起こせるって、とてもクリエイティブにあるべき姿だと思うのです。
良い意味でやえ山という名前に固執するわけではなく、それぞれがそれぞれでやえ山という交差点を利用して意欲的な活動をしていけていることが凄いことだと思うのです。
もちろん、それだけ他のムーブメントがうまれれば、つまり個々人のやえ山以外の活動(歌のことも、飲み会とかでも)が活発になれば、やえ山そもそもの練習と被ってしまったりして本体の練習が疎かになってしまうということはあります。確かにもっと人が多く練習に参加できれば、より良いものを作りあげられるのでしょう。しかし、ただそうした音楽的な達成以上に、この交差点に立ち寄れば、何か思っても見なかった道や出逢いへ導かれることがあって、そんな場になっていることが何だか嬉しいのです。(まぁでも、本番後にもうちょっと出来た感を残すのは毎回見る感想だし、そもそも本番に人を集めることは、とても苦労しているんですけども苦笑)
■そんなこんなで、それぞれがそれぞれに思うことはあるとは想うのですが、交差点で出会ったひとたちで、なんだかんだ組の本番とあれば、まぁ面白いことしようよ!ってなる感じは、これからもあり続けてほしいなと。
で、私自身そんな交差点を楽しんでいるところがあって、できるだけ本番に関わろうと思っているところなのでしょう。
そんな10回目でした。