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あなた、文才ありますね。

大学4年生の冬。僕は一人、大学の図書館で苦悶に満ちた表情を浮かべていた。

目の前にはノートパソコンと、大量に平積みされた資料。そしてメモ代わりに置いた用紙などが散らばって、テーブルには殆ど隙間がなかった。

書いては消すを繰り返しながら、僕はせっせこ、卒業論文を書いていた。

昔から、自分の意見を表明するのがあまり得意じゃなかった。論理的に物事を考えてアウトプットするのに、常人の倍かかってしまうからだ。

どのタイミングで、どんなことを、どういった順番で話せばいいのかが瞬時に分からなくて、結局何も言わず仕舞いだったり、勇気を出して話したことも、支離滅裂だったりする。

それはレポート課題といった”書き”でも同じで、言いたいことを伝えるために、何度も何度も書き直す。だから、作文もあまり好きじゃなかった。

そんな僕なので、高校生という少々早すぎる段階から、既に大学卒業時に書かないといけない『卒業論文』という存在に怯えまくっていた。
ただでさえ面倒な作文を、人生で経験したこともないような文字数で書く。更にその内容は、専門的かつ学術的であること…。考えるだけで冷や汗ダラダラだ。

実際に大学生になり、高校までとは違う自由で幸せな時間を楽しんでいる時でさえ、ふと数年後に待ち構える『卒論』を思い出して、我に返る。

(そうだ…僕には卒論があるんだ。みんなそうやって笑いながら酒飲んでるけど、いつかは卒論書くんだよ…?どうしてそんなに明るくいられるの…?)そして肩を震わせ涙をこぼす。


…というのはさすがに冗談だけど、とにかく僕は卒論を恐れていた。

だが、時は遅かれ早かれやってくる。
僕は気が付いたら4年生になっていて、ゼミの教室で教授から卒論の説明を受けていた。


最低文字数1万2000字、テーマは『社会科学』


さて、噂には聞いてたが、どう考えても文字が多すぎるし、テーマが抽象的すぎる。
さすがに4年生にもなると、今まで数々のレポート課題をクリアしてきた実績もあるので、1万越えを突きつけられても、気を失わずにはいられた。テーマが抽象的すぎなのも、僕がこの学部を選んだ故なので、失禁程度に抑えた。

だが、うちのゼミには、他のゼミにはないちょっとした”オプション”があった。
それが、『エッセー』だった。ゼミ生はこのエッセー、もしくは卒論を提出すれば、ゼミの修了単位が得られるようになっていたのだ。これはゼミに入る前には聞かされていなかったことである。


そもそも僕が勘違いしていたことの一つに、卒業論文提出で認定される単位は、卒業に必須ではない。別に卒論を書かなくても、単位さえ足りていれば、(少なくともうちの学部は)卒業ができるのだ。

『エッセー』はもちろん、『卒業論文』とは違う。なので卒論提出分の単位は出ないが、ゼミ修了の認定はされる。しかも違いはそれだけではなかった。
エッセーは、文字数の制限が卒論よりも大幅に少なかった。最低1万2000字の卒論に対し、エッセーは最低4000字。そしてテーマ設定は自由。挙句の果てには卒論よりも提出期限が長い。

4年生といえば、就活を終えれさえすれば、後は残り僅かな学生時間を、今まで以上に満喫できる最後のチャンスである。そんな時に、わざわざ文字数も多くてテーマもややこしい卒論を書くメリットがどこにあるだろう?卒論を書けば、卒論分の単位は得られる。だが、その単位がないと卒業できないほどギリギリの橋を渡ってきた訳じゃない。
それに僕は、レポートが嫌いだ。ずっと卒論の事、恐れながら生きてきたじゃないか。

教授が、エッセーと卒論、どっちを書くかの挙手を求めた。

僕はハッキリと…


卒業論文の方で手を挙げた。


時々、考えることがあった。この4年間、間違いなく充実した大学生活だったと。
勉強もした、バイトもした、そして遊びまくった!

僕は胸を張って言えるだろう


「僕は大学生活に悔いはない!」 


と。


いや……やっぱり言えなかった。


ずっと、モヤモヤしたものがあった。自分の中で、消化しきれていないことがあった。
それはやっぱり、僕の『自分の考えを伝える不得意さ』だった。

それなりに、単位が取れるレポートも書けるようになった。普通よりも多く英語の講義を受講して、人前で発表する練習もたくさんした。昔比べて随分マシになったかもしれない。でもやっぱり、肝心な時には言葉が出ない。上手く自分の言いたいことが言えない。

就活でもそうだった。グループワークのある選考は全落ちした。頭で考えていることを、綺麗にアウトプットできない。ゼミで討論をやらされたりしても、その時は美しい石像と化し、ほほ笑みながら皆を見守って、時に教授に怒られた。


だから僕は卒業論文を書きたかった。


こんな形で”学生”を終えたくなかった。大学生活で学んできたこと、その集大成が卒業論文である。4年間で、自分が学んだことフルで使う。そうして、何よりも”表現方法”が重要な卒論を書き上げる。


卒業論文を書くこと、それが僕の大学生活で残された最後の課題だった。



そして冒頭の通り、僕はめちゃくちゃ後悔していた。
どう考えてもエッセーにするべきだった。かっこつけるんじゃなかった。今すぐ教授に泣きついて、どうにかエッセーに変更してもらえないだろうか。全然終わんねーよ、卒論。

それでもやっぱり、諦めてたまるかという気持ちも、まだ消えてはいなかった。

ゼミの先輩の論文や、教授が作ったオリジナルの卒論手引きを熟読して、話の順番やら内容を考えた。ほとんど知らない分野の知識も多く必要で、あまりに考えることが多く、図書館の帰り道、一人泣きそうになったのを覚えている。

何度も教授の指摘を受けながら、ついに論文は完成した。
大学側に提出する前に、最後にもう一度だけゼミの教授のチェックが入る。これが通れば僕は公式に論文を提出できることになるのだ。

ファイルを送信し、LINEで返事を待った。
ドキドキした。めちゃくちゃドキドキした。今になって、あそこもっと直したら良かったとか、色々な後悔が浮かんでくる。

少し時間を空けて、教授から返事が返ってきた。
緊張しながら開いた。そしてゆっくりメッセージを読みながら、僕の手は少し震えていた。
教授は、今までにないくらい、僕の論文を評価してくれていた。

素直に、とっても嬉しかった。いつもゼミでも頓珍漢な発言しかしてこなかった自分が、教授に褒めてもらえている。有頂天だった。

そしてメッセージの最後に添えられていた一言が、今も忘れられない僕の支えになっている。

「あなた、文才ありますね。」


おそらく、僕が人生で初めて言われた言葉。
ずっと”表現”することが苦手だった僕にとって、その言葉はまるで魔法のように僕を救ってくれた。

伝えるって嬉しいし楽しい。
あぁ、卒業論文、書いてよかった。

部屋の中で一人、ガッツポーズした(マジで)

教授があんなこと言うもんだから、今じゃ世界中に向けて、毎週毎週自分の話を投稿するような自己顕示欲の化け物が生まれた。

たった一度褒められただけの文才に、なんとかしてしがみついて、今日もこの記事を書いている。

今でも、自分は自己表現が苦手なままだ。そこは変わっていない。

でも、書いて表現することだけは、ちょっぴり好きになったのだった。

おわり


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