父の日。
少し、家族のことを書こうと思う。
ぼくには父がいない。そんなことをいうと、亡くなってしまったのだとか、いろんな想像が働くが、単なる離婚だ。ごくありふれた家庭の事情。
3歳の頃の離婚ということもあって、一切が記憶に残っていない。あったとしても、それはふんわりとしていて、定かではなく、コナンの犯人みたいな、黒塗りの姿での記憶しかない。顔も知らなければ、名前だって知らない。母からの情報によると、郵便局で働いていたらしい。あとは、離婚の原因だって知らないし、興味すらなかった。ただ、名前だけは父方の姓を名乗っている。離婚の際に(実際の離婚は小学校中学年くらい、なんだか大人の事情らしい)どちらの姓を名乗っていくのか、選んでいいよと言われた。どちらの性も珍しい名前だったのだが、名前の響きというのか、かっこよさから父方の姓を選んだ。その時の母の表情はよく覚えていない。
父がいないことについては、特に不自由することなく育った。これは、母のおかげだろう。お金はなかったが、いろんなとことに連れて行ってくれたし、それなりの幸せがあった。
父という存在を大きく感じられたのは、休日、友達の家に遊びの電話を入れる時だ。当時はまだ学級連絡網なるクラスメイトの自宅の電話番号が書かれた紙が配布されており、毎日学校から帰っては片っ端から電話して、遊びに行っていた。あのときの自分は社交性の塊だったみたいだ。
平日はみんな遊んでくれる。ぼくは友達の家に行くのがほぼ100%だった。今考えると、とても迷惑なガキンチョだ。でも、どの友達の家に行っても、向こうのお母さんはよくしてくれた。ところが、休日になると遊びの誘いを断られるケースが増える。「今日はお父さんと釣りに行くんだ」とか単純に「今日はお父さんがいるから」なんて言い草だった。「そうか、お父さんって実在するんだ」そんなことを思っていた。
ぼくにとって、父とは、「休日何処かへ連れて行ってくれる何者か」という認識だったに違いない。
大学を卒業して、社会人になってから父のことを意識することが増えた。
離婚した当時の父の年齢に近づいてきたからだろうか。自分の人生において父がいなかったということがどんな意味を持つのか、少し気になったりはする。もし、父という存在がいたら、一緒に酒でも飲んでいるのかな。うーん。想像がつかない。
そもそも、生きているのだろうか。探してみようかな、なんてことも思っている。出会ったらなんて話すのだろうか。見つけるとしたら、探偵雇わないとな。
1年に1度の父の日には、そんな妄想みたいなことを思い出す日になっている。
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