沈黙の価値。

ゆっくり考えて発言する。そこにはしばしば長い沈黙が訪れる。そういう沈黙が許されている場面って意外と少ないと感じるようになった。

仕事の中でも、テンポが求められ反射的に会話していることが多い。相手だって、すぐ返事をしてくれることが当然だという構えだし、その「レスポンスの速さ」=「賢さ」と評価される節もあるような気がする。

確かに時間は有限だ。けど、熟考して返事をしたいときもあるし、その沈黙の中で生まれた発言に価値がないと断ぜられるのは、なんだかもったいないなぁと思う。

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少し、話は変わって、学校現場でもそのようなことはよくある。授業はテンポの良さが大事だ。そういって、わかる生徒が発言しどんどん進んでいく授業。ゆっくり考えることがない、だから問いかけも薄っぺらい。思考の深度も表層部分をかすめるだけ。これは、ぼくも油断したらやってしまいがちな授業だ。こちらの問いかけに対して子ども黙っている場合は大体2通りあると思う。

1. こちらの問いかけの意味がわからない。

2. こちらの問いかけの意味はわかるが答えが出ない。(つまり、まだ考えている)

この、2が待てない人が多い。本当はその沈黙こそが成長している証なんだけどな。


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(場面が戻りました)

ぼくも少しばかり歳を取った。子どもの時は反射的に「うんち」と連呼していたぼくだけど、大人になるにつれてすぐに発言できないことが増えた。それは、発言することの責任を感じるし、言葉を大事にしたいという思いがあるからだ。黙っているばかりもダメだとは思う。しかし、考えて沈黙している、そういう人にスポットがあたるようになったら、意外といい意見を持っているなんてこともあると思う。

考えた末の沈黙が尊重されて欲しい。

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