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ソロ活動への賛否両論、混乱する世情…。28年の時を超え、27歳の和田彩花が小沢健二をカバーする理由

 小沢健二が1994年3月9日、スチャダラパーと共演して発売したヒットシングル「今夜はブギー・バック」。発売から28年経った2022年3月9日、和田彩花によるカバーが、彼女のYouTubeにアップされた。小沢とスチャダラの呼びかけで色んな人達が自由にカバーする企画が立ち上がり、そこに昨年、小沢の新曲「ウルトラマン・ゼンブ」をカバーした和田が呼応し、今回もカバーしたようだ。tofubeatsの「水星」とのマッシュアップ曲がサントリー「ほろよい」のテレビCMソングにも使われ、同じく3月9日に配信リリースが始まっており、一つのムーブメントになっている。だが日本から遠く離れフランス・パリでの長期生活を2月から始めたばかりの和田は、日本の状況は特段意識していない様子。リリース2週間前から急激に動き出した世界情勢をビビッドに反映させた自作の詩とマッシュアップさせ、28年前に出た原曲の浮かれたムードをコントラストの対称に起き、今の緊張感を強調している。

外部からの評価や、今起こり始めた戦争に対する戸惑いも反映されたマッシュアップ

 原作は小沢の歌唱パート、スチャダラによるラップパートが交互に入る構成。和田によるカバーは、ラップの代わりに和田のポエトリーリーディングが入る構成になっている。原作の発売された年の夏、EAST END×YURI「DA.YO.NE」もヒット。それまで日本ではまだマイナーだったラップという音楽ジャンルが、市民権を得たきっかけはこの2曲だったのではないだろうか。以降のJ-POPでは、さらにラップおよびヒップホップ的手法が浸透し、2003年のKICK THE CAN CREW「クリスマス・イブRAP」などが典型かと思うが、有名な原曲の印象的な歌唱パートをサンプリングし、ラップを挟み込む作品も人気を博した。2010年代になれば、それらは「マッシュアップ」と言われるように。手法としては昭和からあったが、一般化し、よりそういった作品が(安易なものも含めて大幅に)増え、マッシュアップという名詞が定着してからだろうか。今回の和田のポエトリーリーディングを織り交ぜたカバーも、マッシュアップものの一つとなる。

 小沢は1968年4月14日生まれ。23歳の時に小山田圭吾とのユニット「フリッパーズ・ギター」を解散し、1994年3月9日にブギー・バックを出した時は25歳終盤。ソロ活動を本格化させてから2年目に入る頃だった。和田はその年の8月1日に生まれ、今回のブギー・バックのカバーを出したのは27歳。和田は24歳終盤の2019年6月18日にアイドルユニット「アンジュルム」を卒業。25歳になった翌2020年からソロ活動を本格化させた。奇しくも今の和田と当時の小沢は同年代。グループを離れソロになった直後でシンクロすることも、今回の和田のカバーを興味深く感じだ要素だった。

 大学院で美術史を専攻した和田は、今年2月に芸術の都・パリでの生活を始めたばかりだが、同月末に同じヨーロッパ圏のロシアがウクライナに侵攻する。そして小沢もブギー・バック発売の翌95年には6枚のシングルを発売し、うち5枚がオリコン10位以内に入るヒットとなったが、95年は阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件が発生した年で、戦争とコロナ禍に包まれる今とのシンクロも感じた。ソロになった今の和田への外部からの評価や、今起こり始めた戦争に対する戸惑いも、今回のブギー・バックのカバーのポエトリーリーディングには反映されている。

“華やかな光”とのコントラスト

「ダンスフロアーに華やかな光…」というお馴染みの歌詞から始まり「君は最高のファンキー・ガール 誰だってロケットがlockする 特別な唇 ほんのちょっと困ってるジューシー・フルーツ 一言で言えばね」等と続く小沢の歌唱パートを、和田はハイトーンで淡々と歌い上げた後、和田は自作の詩を朗読する。

「1994年、この曲が発売された年、私は生まれた。ダンスフロアもシェイク・イット・アップも知らない。ほんのちょっと困ってるジューシー・フルーツって、何でしょうか?今起きてる私には魅力的な言葉には聞こえないかもしれない?今は共働きで私生活だって充実させてしまえるらしい。ただ、よく知らない生まれた年の雰囲気。心のベスト10第1位は、時には今でも変わらず、こんな曲だったみたい」

 その後、「ダンスフロアーに華やかな光…」と、原曲のサビのパートに戻り、和田は再び高音で淡々と歌い上げる。再び和田のポエトリーリーディングに戻ると、今の和田に一般的なラブソングが無いと言われることについて言及し、和田は「ロマンチックなラブに興味がない」等と回答する。そして「世界では、今を生きるために、国を超えているよ」とウクライナからの難民問題を示唆すると、「どうしたらいいかわからないぐらい悲しくって、どんな音楽が詩が芸術が私たちを支えるかわからないけれど」等と現状を憂い、ブギー・バックで唄われるような「ロマンチックなラブ」よりも、彼女が敬愛するジョン・レノン的なラブ&ピースが強い関心事であることを表現している。

 そして再び「ダンスフロアーに華やかな光…」の小沢の歌唱パートに戻るが「クールな僕はまるでヤング・アメリカン」「ロマンスのビッグヒッター」「君にずっと捧げるよファンタジー」「今宵のリアリティ」「夜の終わりには二人きりのワンダーランド」といった陽気な歌詞の歌い方には、前段のポエトリーリーディングがあったため、より突き放したような冷淡な態度が感じられる。そして最後は「1週間後にはどうなっているか」「3日後はどうなっているか」と、危機をカウントダウンするような詩を読み上げる。この曲を公開する6日前のインスタグラムに和田は「2月からフランスにきています。欧州にいるとウクライナ侵攻の出来事がとても身近で、不安が募ります」と記しており、その今の率直な気持ちが最後のパートには反映されている。

ソロ活動開始直後、20代半ばの小沢・和田の共通点

 和田在籍時のアンジュルムの最後の頃は、彼女がのめりこんだフェミニズム・ジェンダー論が反映された楽曲もいくつか見られた。グループ時代は外部の作家の作詞した作品を唄っていたが、ソロになった和田は自ら作詞し、自分の価値観を率直に歌詞に反映させた。筆者はアンジュルム所属時代の思想の延長線上にあると感じ、違和感は無かったが、戸惑ったファンも少なくなかった。作品以外の部分でも、「アイドルの可能性を広める」と話し、アイドルを標榜しつつも社会・政治的な発言が増えたこと、アンジュルム時代の活動の一部内容を否定する発言があったことも、そういったファンの戸惑いの要因だろう。

 小沢が93年に出したファーストソロアルバム「犬は吠えるがキャラバンは進む」は、どこか世間に対して斜に構えていたフリッパーズ的な作風からの脱皮を模索しているような時期だったが、翌94年3月に出した「今夜はブギー・バック」から、人が変わったように陽気な路線に。“ふてくされてばかりの10代を過ぎ 分別もついて歳をとり”と唄う「愛し愛されて生きるのさ」から始まる、同年8月のセカンドアルバム「LIFE」は、ラフにいえば、恋に目覚めた男の人生賛歌ともいえる作品だった。LIFEからシングルカットされた「ラブリー」では95年の紅白歌合戦に初出場。新たなファンを多数獲得し、アイドル的人気を高めた。

 だが一方、フリッパーズ時代のアンチ・メジャー的な路線からは想像もつかないような展開に、当時からのファンの友人たち中には許容できない人も少なくなく、音楽雑誌等での批判的なレビューも多かった。とりわけ元相方の小山田が、よりアンチ・メジャーを先鋭化させた路線に進んでいたので、そのコントラストは鮮明だった(昨年話題になった過去のいじめ告白インタビューが出たのも94~95年)。だがそんな小沢の躁鬱でいえば躁のような時代は短く、95年の6枚のシングルのうち「カローラIIにのって」、「強い気持ち・強い愛」、「戦場のボーイズ・ライフ」、「痛快ウキウキ通り」あたりは96年10月に出たサードアルバム「球体の奏でる音楽」には収録されていない。「球体~」はジャズ・アレンジ主体で、躁鬱でいえば鬱ともいえる状態に入る。30歳になった98年にはニューヨークに移住。2017年に「流動体について」を出すまで(レコード業界の変化も影響しているが)19年間シングルの発売が無かった。

あやちょが旅に出た理由

 グループ活動から離れ、ソロ活動で自分の可能性を模索する経験をし、さらに賛否両論を巻き起こした点で当時の小沢と今の和田は共通する。ここで並べたからといって、今後の和田が当時の小沢のように、新たな転換期を迎えるかどうかはわからないが、2月からパリに渡った和田の最新の発言からは、新たな転換期の兆しを感じた。
 90年代の小沢のほうが圧倒的に世間的な知名度の高い立場で、和田はそこには及ばないが、今の時代はソーシャルメディア等を通じて直接的に批判が飛んでくる。そして和田の場合、社会・政治的な発言が増えたことで、評論家的役割を活字やネットだけでなくテレビ等の映像媒体でも求められることが増えた。時には一部の発言が切り取られ、SNSで見出ししか見ないような人達が誤解することもあり、「フェミニズム・ジェンダーの人」「左翼」等と安易にレッテルが貼られるようにもなりつつあった。彼女自身は常に多様性を重視し、自分と違う意見の人たちにも寛容な態度を取っていることは、発言全体を見ていれば明らかだが、そのようには伝わらず、特に昨年末あたりはその傾向が強まっていた。そしてこれは仕方ない話でもあるが、和田たちの発言だけで、日本社会は緩やかに変わりつつも、劇的に変わるわけでもないため、日に日に無力感は積もったのだろう。
 和田は2月にパリに渡り、ブギー・バックのカバーを出したのと同じ3月9日、世界女性デーのインスタグラムにこう記し、どこか日本社会でのプレッシャーから解放された安堵感が伝わって来た。

「大好きなフランスに来てすぐ。この場所で過ごせる嬉しさのあまり、なんのために日本で活動してきたのか・しているのかを忘れそうになりました。
日本の社会的文化的環境がどうなろうとも私には関係ないって態度でももういいんじゃないかとふと思いました。自分の好きな場所で生きていく、ただそうしていたいなんて夢を抱きました。日本での活動に疲れを自覚していたわけではないけれど、そう思いました。
ジェンダーやフェミニズムに触れることで、心はたしかに解放されました。自分に向けなくていい負担に、自分が向けられていなかった立場に気付きました。
社会的文化的な慣習が変わってきているとはいえ、少し遅れている場所で私らしく生きることは簡単ではありませんでした。そもそも個という存在が未熟な場所での「私らしさ」は、想像以上に難しい問題なのかもしれません。
誰とでも分かち合えるわけではないテーマに人生で向き合ってると、ときどき全てを手放したくなります。
あまり話す機会を持たなくなってしまった友人のみんな、ごめんなさい。私は変わった子なのではありません。あなたの意見とは違う私の意見のままでいさせてほしいです。
もう何年かそう願って、歌に・文章にしてみたはいいものの、やっぱり願うばかりで待っていられなくなりました。全てはきっと事後報告になりますが、私は自分の生きる場所を探しています。」

https://www.instagram.com/p/Ca2wBtENuVg/

 ブギー・バックのカバーでは世界情勢の影が濃かったが、このインスタグラムの投稿は、その次の一つの曲であるかのように、彼女の今の率直な心情がより詳しく記されている。そういえば小沢のセカンドアルバム「LIFE」のブギー・バックの次の曲は、「ぼくらが旅に出る理由」だった。ポール・サイモンの名曲とのマッシュアップ感の強いこの曲で、小沢は「ぼくらの住むこの世界では旅に出る理由があり 誰もみな手をふってはしばし別れる」と唄った。あやちょ(=和田)が旅に出た理由はなんだろう。今はその“事後報告”を静かに待ちたい。


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