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なにもせず"夫婦円満"なんて無理がある。お互いに自分が変わらないといけない。

夫婦二人きりで出かけるということが、とても珍しいんだなと、
この歳になるとひしひし感じます。

ほかの既婚の人に
例えば、
「今度夫婦二人っきりでキャンプに行くねん」
と言うと・・

「二人だけで・・何話すん?」
「えー、・・間が持たない!」

私の周りりの夫婦方は、こんな感じらしい。

私たち夫婦からすれば、
「えっ?なんで・・」
という感じなんですよ。

他の人は、
一体どんな生活状況なんだろうか・・
夫婦が仲良しでいられるのって
難しいのかな・・

私、結婚して22年目。
結婚した時私は27歳でした。

大体、頑張って80歳まで生きると仮定して、53年を妻と共に暮らすことになります。
そして、早いか遅いか20年程が経ちました。
この先、数年で子供も親離れして
完全に夫婦二人だけの空間になってしまいます。
そりゃ、寂しも強くあるでしょうが、
結構楽しみも感じています。

他の方はどうなんでしょう?

結婚生活のピリオドが
数年の人もいれば、
数か月でなんて人も聞きます。
永遠の仲良しなんてのはあり得ないんでしょうか・・

個人的には、
早いうちに見きりをつけて別れを行った人、
新しい人生に切り替える決断をされる人を、
すごいなあと感心したりしますが・・


結婚して人生が中盤戦に差し掛かった時には、
自分自身が今後、どのように夫婦の生活を作り上げていくのか、
不安に駆られたりしませんか?

体力も激減、顔のシワもくっきり浮かんできて
なんだか、疲れきった表情が当たり前になっちゃいます。
いつかお互いが飽きて飽きられて、
もう喋るのもイヤになる、
そんな可能性もあるわけだし、
既にこんな雰囲気!という人もいるでしょう。

いつまでも変わらず仲良しなんて人もいますが、それでも一度くらい夫婦でいることに辛くなったことってないですか?。

いつも同じような、
淡々とした生活が進んでいくと、
やっぱりそれに飽きてしまい
新しい刺激や環境を欲しがるようになるでしょう。
自分の置かれている環境と、
どこかの環境を比較して
自分自身もそうなりたいとか、
今の生活が息苦しい
なんて気持ちが充満して、
これからもずっと続く不満を解消したい!
新しい刺激が欲しい!
と、自分への満足を求めてしまう。

だから、今の生活やこれからの生活に不満や不安を感じるのだと思います。

独り身ならいいですけど
相手がいるんですから。
このまま放置っていうなら、
それはどうかと思いますよ。

夫婦という人間関係は、
男と女ということもあって
尚更、一緒に楽しめることがあまり無いのかもしれません。
子供がいたなら、小さいうちが限界なのかも。

そもそも違う価値観を持っている二人が、
なにもせず、
「仲良く、ずっといっしょに」
なんていうのは、ちょっと無理があります。

年が嵩むと思考するのが弱くなって、
極端に我儘が強くなってきます。
強烈な摩擦で、煙がでるほど擦れ合います。
違う親の、違う環境で育てられたそんな二人に摩擦が生まれないようになんていうのは、
かなり難しいように思います。

けれどだからと言って、
夫婦を惰性と摩擦で無理して続けていくなんて意味のないことです。

ではそうならないように、
「夫婦」をどんなふうに築いていけばいいのか
を考えてみました。

「自分は後、相手が先」という覚悟

夫婦の関係が、
何が足らないとうまくやっていけないのか
というと、

やっぱり
「二人で協力して生きて行く覚悟」
かなと考えます。

恋愛中って、二人ともがひたすらお互いに満足感に浸り続けていると思いません?
だから、相手の悪いところが、見えにくかったり、我慢して見ないようにしたり。

でも結婚したら、
相手の全部を直視しなといけないし、
自分の全部も晒さないといけない。
良いところだけでなく、悪いところも。

そう、全部。

良いところなんて、
お互い見ても見せても
その時ちょっと気分が良くなるだけで
記憶には残りにくい。
いくら良いところがたくさんあっても、
そのうち、それに慣れてしまって
あって当然のような感じになります。

しかし、相手の悪いところが頻繁に見えてくると、ストレスを感じて、強く脳に刷り込まれてしまいます。

良いところが、
頻繁に見えなくなったりしたら、
ちょっとした悪いところが目立ってしまいます。
悪いところが良いところを上回ってしまうと、それしか見えなくなり、
良いところが記憶からすっかり消えてしまいます。

人って、
自分自身に対しては、
自分を満足させたい、自分を優先に考えたい。
でも、相手に対しては、
私の考えに合わせてほしい。
私に関心を持ってほしい。

の思考になってます。

もしお互いこんな風に、
自分中心の思考していたら仲良くなんてならない。
うまく行く理由がありません。

自分より、相手のことを先に思う

そういう思考が、夫婦の絆を育てるのだと思います。
というか、この考えでしか「夫婦」を楽しく
永続させるなんて無理のように思いますが・・
(あとはお金か・・・)

今、持ち合わせてなくても
これから夫婦の間を良くしたいのなら、
この思考は必要だと思います。

関心を持つ取り組みとして、

「家族への挨拶を真剣にする」
というのはどうでしょうか。

しっかりと相手の目を見て、大きな声で
「おやすみ、○○!」
「おはよう、○○!」
「行ってきます、○○!」
「ただいま、○○!」
「行ってらっしゃい、○○!」
「おかえり、○○!」

コミュニケーションの基本だと思いますが、
会社の上司や仲間に対してするのと、
家族に対してするのとでは、
意味が違うのではないでしょうか。

家族のことを、
もっと強く関心を向けていくためにも
毎日、毎日当たり前にやることです。

関心を伝える行動として、
「挨拶をしっかりやる」は、
すぐ出来そうで、すごく良い方法だと思います。

私は、5年位前からやり始めましたが、今では家族みんながお互いを見て
しっかり挨拶をします。
もう、家族で元気のない挨拶は考えられません。
大した事ではないかもしれませんが、
自分の人生の中でも価値ある行動だと
感じています。

「不満は後、助けるが先」という覚悟

家族の生活には、やらないといけないことがたくさんあります。
子供の世話、掃除、洗濯、家計管理、修繕、整理整頓・・
それらの事から更に広がって、
やることが増えていきます。
夫婦二人でやっていくなら、それこそ
協力し合わないといけません。

私がこれに気づいたのはいつだったかわからないほど、
自分がそれまでどれだけ自己中だったのか怖くて思い出したくないです。

自分のことを先に考えていては、
本当に円満な状態を築くことなんて無理ですし、不満を口にしている時間がムダのように思います。

それより、
自分の存在が、家族を良くするための助けになるべきです。

生活の中で、
相手の"困り事"なんて知ってますか?
あまりそんなこと、直接聞いたりしないですよね。

相手に関心を持ってたら、
何かしらの呟きが聞こえるんですよ。

私にしてみたら、些細なことでも
妻にして見たら困っているなんてことが
生活の中に潜んでいるんですね。

"家の中のことは、妻がやると思っている"
思考を無くして、常に

"二人でやる"
を意識していくことを心がけています。

クーラーが埃っぽくて動かすのか嫌だなー
換気扇の羽根が汚いから、換気できないやー
窓枠の汚れが酷くて、家が汚く見えるよー
庭の草がぼーぼーで、見苦しいなぁー

他にも、妻が見つけてないだけで
もしかしたら、
鳥の糞がまき散らされていて壁や、窓、庭が汚れているかもしれないとか、
見上げたら、軒下にハチの巣ができているかもしれないとか

妻が苦手そうなことを、
ちょっと率先して処理しているだけでも、
私に対しての見方が変わってくるんですね。

妻本人への関心だけでなく、
日々、妻が目にしてるものに
妻と同じように目にして関心を寄せておく。
それだけでも、夫婦の絆が変わっていくように思います。

障子が破けていたり、窓ガラスが汚れていたり、エアコンや換気扇が汚れていたり、
ほったらかしても問題ないかもしれません。
それを放置するか、綺麗に掃除するかしか
ありません。

そして、
私がやるか私以外がやるかしかありません。

ゴミの分別とゴミ出し、
それで満足する事は当然許されません。
新しいゴミ袋の据え付け忘れは論外!
それ以外にも、
もっともっとやらないといけないことがある
はずですが、
夫婦のどちらかがやっているはずですよね。

そしてどちらかが、
「相手がやってくれる」
と思っているんですよ。

自分のことを先に考える前に、
相手の不満を言う前に、
たくさんやるべきことの1つでも多くを率先して消化していかないといけないなと思います。
相手のために、
どこまで自分自身がやる意識を持てるか。

それが一緒に生きて行く上での最低限の、
覚悟の表れではないでしょうか。

「けんかするくらいなら我慢」の覚悟


人というのは、
自分を第一に大切に思ってもらいたいと思う
生き物です。
そして興味あるものに反応するけど、
飽きるのも早い。
なにかと比較してしまうから仕方ないんでしょうけど・・

妻というのは、
たくさんの時間を子供に当てないといけない。

一方、夫というと自分のやりたいことに必死。

いざ、夫婦二人になった時には、
お互いの存在に飽きて、関心が薄れてしまう。

お互いの良いところなんて詳しくわからない。
でも悪いところは結構詳しかったりする。

価値観なんてまるで違うでしょうから、
実際どっちが良いか悪いなんて分かりっこない。ケンカなんて、自分の価値観の押し付け合いから始まるもので、始めたらどっちが悪かったのか決着させないと気が済まない。

だけど、
本当に自分は正しいのか?
わたしの考えは世間一般の常識なのか?

自分が正しいなんて、自分が勝手に決めただけで誰が決めたわけでもない。
本当は間違っていたとしても、
自分の中で自分に都合のいいように
解釈しているだけのような気がします。

自分都合の解釈が優先してしまうと、
夫婦の摩擦が無くなることは難しいと思います。

私は、
自分という人間が実際どんな人間なのか、
自己認識がしっかりとできていません。
なかなか自分という人間を判定してくれる他人なんていないですから。
それでも、自分勝手、自分都合、自己中心的・・・
こんな感情をぶちまけていたことは確かです。

夫婦の仲をぶち壊すこんなヘボ思考。
基本的に人は、
このような思考が優先されていると思いますし、実際そうなんだと思います。

だから今の私は、
相手を敬うこと、感謝することを忘れないよう、自分が謙虚でいること絶対を忘れません。

夫婦がケンカになった時
相手が
「私が正しい、あっちが悪い。」
という思考をしているんだなと理解して、
冷静になる。
そして、
怒りは鞘に収めた方がいいんだなと思います。

怒りは、時にすごく大きなエネルギーになる価値のある大切な思考です。
だから、たかだか夫婦同士のケンカくらいで
振舞うようなエネルギーではないと思います。

自分が吐き出したい感情を我慢し、
逆に相手には、言い分や思うことを存分に吐いてもらい、気分を良くしてもらった方が
結局のところ、平和に収まることになる思います。

そして「我慢」が何のための我慢なのか、
誰のための我慢なのか・・

と、
そういうことを考えると
やっぱり
「自分が相手を幸せにする」ために
ということになるんですよね。

だったら、
一秒でも相手を幸せにできる時間を
自分が考えてあげて見てはどうでしょうか。

「相手の幸せをイメージする」思考

他人から嫌なことを言われたら傷つくし、
その相手のことを嫌いになる可能性だって
ありますよね。
だから、他人の事はあまり批判しない。
揉め事を起こさないよう心掛ける。
でも、夫婦の間なら平気でお互いの考えを否定しますよね。
ケンカして、押し付けあって、どちらかが満足して、不毛なやり取りを繰り返して生きて行く。

そんなことに何の意味があるのかと思います。

そもそも夫婦の間で、ケンカという思考なんているでしょうか?

妻とか夫というのは、
家族を形成する上での役割だと思います。
夫婦が夢見る未来のために何をすべきか。
その大切な価値観にしたがって協力し合えば、
大抵ケンカしてる時間なんて無いように思います。
自分のことしか考えず、
相手の愚痴や不満を言うより、
共に築きたい夢を作り、それについて語り合うことのほうが素敵だと思います。

夫婦になった瞬間から、絆を深めることを
十分に積み重ねてきていないのがいけない。

ケンカの仲直りなんていうのは、
「自分の嫌な気持ちを無くしたい」
とか、
「相手が納得してくれて、
自分の心が穏やかになってよかったな」
とか、
自分が楽になるための
自分勝手な行動なんだと思うべき。

ケンカは
自分都合の表れであって、
実際には相手の本心がどうかなんて
全く気にしてない。

相手が罵ってきた時、こういう言動をすれば
相手は怒るんだなと理解し、
嫌な気持ちが湧いてくるなら、しばらくの間
近寄らないようにすればいいんですよ。
マウントを取って、自分を満足させるために
言い返すなんて幼稚なことはしない方がいいです。

人は、
自分を気にかけてほしい
興味を向けてほしい
認めてほしい

と、強烈に願っています。

もし自分勝手でワガママな相手が
気分よく動いてくれるなら、
その事をよく理解して存分に利用した方が、
自分自身も楽になるのではと思います。

相手のことを良く観察し理解し、
相手を気持ちよくさせることで
相手も優しく接してくれたなら、
結果的に自分も気持ちよくなれるのですから
それで良いのではないでしょうか。

「自分が(先)自分が(満足したい)病」
侵されていたらだれからも嫌われるでしょう。

感情的になった時点で負け確。

泰然自若な人は、大体強いです。

お互いが興味・関心を持ち、
二人で築ける夢を掲げて生きるのが理想。

家族の絆が、ほどけないように強く結ぶことを日々心掛けるべきです。 

私は、ポンコツ夫。
だから、ずっと努力します。
妻を幸せにする方法を。

皆さんは、相手のことがどれだけ好きですか?



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