筋肉痛が好きだったアイツ
時が止まったかのような残暑もようやく過ぎていって、やっと走りやすい季節になってきました。
というわけで数日前、無理のない速度で12kmを気持ちよく走り、そして今、ふくらはぎやら太もも前部(筋肉の名称分からん)やらが激烈な筋肉痛に襲われています。
数か月前に自転車で電柱に激突して太ももを負傷(自転車は全壊)してから肩や踵やあちこち順番に痛くなり、この夏中まともにランニングできていなかったので当然といや当然。
しかし12km一本だけでこんなにも痛くなるのか、それだけ筋肉が衰えたのか…。と少しショックを受けるほどの甚大さです。
コンスタントに走っている時期はちょっとやそっとの練習じゃ筋肉痛も出なくなるので、またここからやり直しか…。と、山の麓から遥か頂を仰ぎ見るような気分です。
そういや任天堂の『どうぶつの森』で筋肉痛大好きキャラがいましたね。ツバクロとかピータンとか、一人称が”オイラ”の人たち。
あっけらかんと明るい筋トレ馬鹿で、「今日も全身筋肉痛だぜ!」と幸せそうに自慢してきていたような(※ゲームキューブ時代の話。今もいるのか?)。
当時子供で、かつスポーツというスポーツが大嫌いで全く運動をしていなかった私には『筋肉痛=痛み=嬉しくないこと』という認識しかなく理解不能だったものの、そこに痛みがあるということは確かに筋肉が壊されて修復している、強くなっていることの何よりの証拠だから、今ではツバクロたちの充実感も理解できてしまう。(筋トレ好きをアピールする割に筋肉痛になりすぎだろという疑問も湧きつつ)
「しめしめ、先日の坂道トレーニングがしっかり効いてるな。」とほくそ笑む感じ?
考えてみれば筋肉痛は単に練習の成果として現れるだけじゃなく、その部位や激しい・弱いでトレーニングの進捗具合や身体の損傷具合やら色々教えてくれ警告を与えてくれる、信頼おけるセンサーみたいなもんやなと思います。
いつもと違う部位に負荷がかかってたぞとか、ちょっと痛め始めてる、これ以上攻めると危ないぞとか。
逆に筋肉痛が出なくなることで基盤の筋肉がしっかり身に着いたと知ることもできるし、そしてもちろん、あまりに簡単に筋肉痛が出れば単にさぼっていたことの証拠にもなる。
筋肉痛はいわば、信頼おける練習の相棒みたいなものだ…なんていったら、それこそ子供時代の自分には理解不能どころか引かれてしまいそうですが。
ただその代わり、当時理解しあえなかったツバクロたちは「そうだよなー!」と全肯定してくれそうではある。
大人になった今、(寝てない自慢にも似ているし)現実世界では敢えて筋肉痛話をすることもないから、誰彼構わずあけっぴろげに、幸せそうに筋肉痛自慢をしていたツバクロ達が少し羨ましい。
というか、ツバクロ達と会って、昨日のトレーニングがどうで筋肉痛がどうで、とばあばあ喋り合ってみたい。
相手の関心なんて完全無視に、お互いに一方通行で。
そして今のところ、私のセンサーは筋肉の衰えが甚だしく、冬のマラソンに迎えてぐいぐい持ち上げていかねばならん、と告げています。
間に合うのか?