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オリンピックに納得がいかないんだよな
「ナポリタンとカルボナーラを同じお皿に盛ってください」
友人のケンジがまたバカなみたいなことを言って店員さんに苦笑いされていた。
どうやらこの前、宅配ピザのハーフ&ハーフを初めて食べたらしく、それが大いに感動したことがきっかけだそうだ。
説明を聞いても意味がわからない。
「あのさ。納得がいかないことがあるんだよね」
これまた大変ご立腹だ。だが、そう言うならば話を聞いてあげるのが友人の役割である。
「オリンピックってあるじゃん?あれってなんのお祭りだかわかる?」
まずオリンピックが「祭り」というカテゴリーになるのかと驚いたが、僕は「スポーツの祭典」なのでそうなるのも納得ができた。
「そう。スポーツなのよ。じゃあさ、スポーツの定義って何?」
スポーツの定義。これはなかなか難しい。スッとスマホで調べてみたところこのように記されていた。
スポーツ基本法(日本で唯一のスポーツに関する法律)において、「スポーツは、心身の健全な発達、健康及び体力の保持増進、精神的な充足感の獲得、自律心その他の精神の涵(かん)養等のために個人又は集団で行われる運動競技その他の身体活動」とされています。
それを見ると彼は
「そう。身体活動じゃん?ということは、オリンピックは己の身体で競い合う大会ってことになるよね?」
至極真っ当なことを言っている。
なぜそんな彼がナポリタンとカルボナーラを混ぜて食べているのか。疑問が膨れ上がるが、話が外れてしまうので触れないことにする。
「で、本題なんだけど。オリンピックの競技で馬術ってのがあるんだけど…あれって人間の身体じゃなくて馬じゃね?」
僕は「確かに」以外のしっくり来る言葉が思いつかなかった。
「だって、短距離とかそれこそ重量挙げとか。そのために身体を鍛えたりして競い合うわけじゃん。だけど、馬術は自分の身体を使ってないから、オリンピックの競技には当てはまらないと思うんだよ」
人間とは不思議なもので、ここまで正論を聞き続けると、異論反論オブジェクションを言いたくなるもので、僕はこのような仮説を唱えた。
それは、馬を操る技術や手法が必要になるので一概に馬だけのものではない。というもの。
すると彼は
「じゃあさ、例えばなんだけど。俺が馬の気持ちが分かって馬と会話できるとするじゃん?そしたら自分が乗る馬と仲良くなって完璧に乗りこなせたら金メダル取れちゃうってことじゃない?」
詭弁ではあるが、もしもそうであったら確かに金メダルが取れてしまうかもしれない。
「ちょっと待って…?ということは俺にも金メダルが取れる可能性があるってことか?」
なぜそうなるのだろうか。
「まじかよ……忙しくなるな……」
ならない。決してならない。このままだと彼は金メダルの栄誉ではなく、変態の称号を手にしてしまう。
そう言うと彼は立ち上がりどこかへ行ってしまった。
僕はもちろん応援することにした。友人の夢を応援するのも、友人の役割である。