見出し画像

【書籍紹介】キリンの首はなぜ長い(22世紀アート)

登場人物
Dr.Y: 総合病院に勤務する呼吸器内科医。
友人K:Dr.Yと古くから付き合いのある友人。商社勤務。


Dr.Y: あけましておめでとう。今年もこうやって新年早々お酒を飲めて嬉しいよ。

友人K:あけましておめでとう。本当だね。それにしてもミレニアムからもう四半世紀過ぎようとしているというのが信じられないよ。

Dr.Y: 本当だね。「光陰矢の如し」だね。時間を大切にして過ごしていかないと。Kは冬休みは何してた?

友人K: 家族と実家に帰ってくつろいでたよ。やはりたまに帰る実家は落ち着くね。Yは?

Dr.Y: おれも家族で特番見たり。そういえば、去年の暮れに妻とテレビを見ていたらタモリさんが番組のナレーションをしててね。どういう流れか忘れたけど、キリンの首が長い理由について語ってたんだ。

友人K: タモリさんは何と?

Dr.Y: 「キリンは高いところの葉を食べられるように進化したのではなく、突然変異でたまたま首が長く生まれたキリンが生存競争に有利だっただけだ」と。

友人K: 何か聞いた事ある話だね。

Dr.Y: 一緒に見ていた妻に「こんなの常識だよ」と言ったら「じゃあなぜシマウマやガゼルの首は長くならなかったの?」と聞かれて困ってしまった笑。

友人K: 確かに笑。でも、確かになぜシマウマやガゼルの首は長くならなかったんだろうね。

Dr.Y: 本当は高いところの葉を食べられる事だけではないのかもな。キリンは喧嘩する時に首をぶつけあうネッキングという行動をするらしく、この時に首が長い方が有利だったという説もあるよ。

友人K: 何が生存競争に有利に働いたのか、本当のところはキリンさんに聞いてみないとわからないな。

Dr.Y: そうだね。それもあって、冬休みの間にこんな本を読んだよ。


「キリンの首はなぜ長い」帯刀益夫・著(22世紀アート)

Dr.Y:作者は帯刀益夫(おびなたますお)さん、東北大学の加齢医学研究所で教授をされていた人のようだよ。この本を読んでいると、いずれにしてもそう単純な話でもなさそうだと思ったよ。

友人K: どうしてそう思うの?

Dr.Y: 例えば、もしある日、Kの首がキリンみたいに突然長く伸びたとしたらどうなると思う?

友人K: そりゃあ、見晴らしがよくなって爽快な気分になるだろうよ。

Dr.Y: だけど首が長くなったKの頭まで十分な血流を送るためには、心臓のポンプ機能と血管をうんと強くしないといけないんだ。そうすると、Kの血圧は200をゆうに超えてしまうらしいんだよ。

友人K: なるほど。そんな血圧が高い状態でずっと暮らしてたら心臓と血管がボロボロになってしまうね。

Dr.Y: そう。つまり、首が長くなるのと同時に、心臓や血管といった循環器系もそれに適応できるような強度を身につけないといけない。変異するのは首の長さを規定する遺伝子だけではダメという事なんだ。

友人K: そうすると、首を長くするような遺伝子と血管系の遺伝子が同時に変異しないといけないという事?

Dr.Y: 同時かどうかは分からないけれど、少なくとも複数の遺伝子やその発現の仕方、生理機能がセットで変化していかなくてはいけないという問題になるわけだよ。


友人K: 複雑だね。昔は「人間も動物も神様が作った。以上。」で結論付けられていたわけだからね。そこから理論がどう進歩していったんだろう。

Dr.Y: 確かにもともとは進化という概念はなく、種は不変であると信じられていたみたいだね。1800年代にラマルクという学者が登場して、生物は環境や目的に合わせて少しずつ進化する「用不用説」を唱えるんだ。

友人K: つまり「キリンが高いところの葉を食べるために自ら首が長くなった」という説だね。

Dr.Y: 次にダーウィンが登場すると「用不用説」から「自然選択説」が主流になった。つまり変異は偶然の産物で、結果的に環境に適合した変異を持つ個体が生き残ったということだ。

友人K: これが「たまたま首が長く生まれたキリンが生き残りやすかった」とする説だね。

Dr.Y: そうだね。さらにワイスマンという学者が登場すると、子孫に引き継がれるのは生殖細胞に起きた変化だけで、生まれた後の体細胞変異は子孫に引き継がれないと主張したんだ。

Dr.Y: これは「ワイスマンの障壁」と呼ばれ、つまりキリンがいくら頑張って首を伸ばしても、そうやって後天的に獲得した能力は体細胞の変異だから子どもには引き継がれないということになるね。

友人K: 確かに、そう考えるとやはりダーウィンの「自然選択説」の方が確からしくなってくるわけだね。

Dr.Y: うん。さらにその後メンデルの遺伝の法則が概念として確立されると、それらが合わさってネオ・ダーウィニズムと呼ばれる現在の考えに近づいていったんだよ。

Dr.Y:その後も研究が進み、体の構造や生理機能などの表現型は遺伝子発現に伴うタンパク合成によるものだということや、その遺伝子発現を調整する調節遺伝子も存在すること、さらには2000年代に入るとエピゲノムの存在も分かってきた。

友人K: エピゲノムとは?

Dr.Y:エピゲノムは、簡単に言うと遺伝子に書かれた設計図のどこを使ってどこを使わないというようなオン・オフ機能を起こすような変化の事。「DNAの配列は変わらず染色体と呼ばれるDNA構造のみが変化する事によって生じる遺伝的に安定な表現型」というのが一般的な定義のようだよ。

友人K: 設計図の中身だけでなく、その設計図のどこをどのように使うかも重要で、そこに関わるのがエピゲノムということか。

Dr.Y: うん。DNAのメチル化やヒストン修飾と呼ばれる仕組みが有名で、これが起きるとそこに存在するDNA配列から遺伝情報を引き出せなくなることがある。

Dr.Y:当初はこうしたエピゲノムも、「結局はDNAに依存した産物であり遺伝子発現の結果を見ているに過ぎない」というような反論もあったみたいで、この本に詳しく書いてあるよ。

友人K:多くの学者さんたちが少しずつ発展させていった蓄積が現在の知見という事だね。

Dr.Y: うん。そしてこの本でもこれらの事実を前提として、そこから発展させているわけ。


Dr.Y: ちなみに筆者は、ラマルクの用不用説とダーウィンの自然選択説、どちらが正しくてどちらが間違いというような事は言っていないんだ。むしろ両者には共通点もあるとしていて。

友人K: ん?どういうこと?

Dr.Y:生物の進化において遺伝子と環境の相互的な関係が重要だという点で両者は共通しているということ。

友人K:確かに。2つの学説の大きな違いは、環境の変化と遺伝子の変化の順番だもんな。

Dr.Y:その上で環境の変化が遺伝子の自律的な変化を誘導している側面について、この本では多く述べられてるよ。

友人K: でも、遺伝子は様々な表現型の大元の設計図でしょ。周りの環境に合わせて設計図が変わってしまうというのがやはり腑に落ちないよ。

Dr.Y: そうだよね。この本ではまず、遺伝子変異の中には合成タンパクの変化につながらない中立変異が多数存在することに触れているんだ。複数の塩基配列が共通のアミノ酸に対応している事や、一部の異常タンパク質を正常化する「ヒートショック蛋白」の存在などがそこに関与している。

友人K: 遺伝子変異が起きても結果として合成タンパクが変わらないのであれば、見た目上は特になにも変わらないわけだね。

Dr.Y: そう。そうすると、どちらの変異が環境に適合しているという事もないから、中立変異は集団の中でもランダムに広がっていくことになるね。こういう考え方を「遺伝的浮動」と呼ぶんだよ。自然選択説に相対する考え方だね。

友人K: つまり、遺伝子変異の中には外部環境による選択圧を受けるような分かりやすい変異と、合成蛋白が変わらないために選択圧を受けない潜在的な中立変異があるという事だね。

Dr.Y: そう。そこへ、ある時強い環境変化が加わると、ヒートショック蛋白による修正機能が破綻して、それまで中立だったはずの変異が顕在化してくることもあるという。

友人K: あ。そうすると、環境の変化が先で変異が後から生じるということが起こってくるね。


Dr.Y: さらに筆者は、環境が遺伝子の変化を誘導する機序として、生体機能モジュールとエピゲノムの共同作業が極めて重要と述べているんだ。

友人K: 生体機能モジュール?また知らない単語が出てきた。モジュールというと、機械工学とか、プログラミングなんかでも出てくる、いくつかの機能や要素がまとまって構成して一つの役割を果たすものといったイメージだね。

Dr.Y: まさにその通り。人間の体の中も同じでね。例えばエネルギー代謝一つを取ってみても、それを一つの遺伝子と発現タンパクが担っているわけではなくて、複数の構造遺伝子や調節遺伝子、エピゲノム、タンパク合成が時間的空間的に複雑に絡み合ってモジュール構造というものを作り出しているんだ。

Dr.Y: 生体機能モジュールはただ遺伝子情報から表現型を出力するだけではなく、気温とか栄養状態といった外的な刺激を感知して柔軟に形態を変えていくことができる。

友人K: アウトプットだけでなくインプットのような側面もあるということかな。何だか難しいな。

Dr.Y: 例えば、Kがこれから登山に行っていきなり標高が高く空気の薄いところへ行ってマラソンなどしたらどうなるかな?

友人K: 酸素が足りなくて息がハアハアしてくるかな。

Dr.Y: そう。低酸素による呼吸数の増加が、生理反応として最初に起きる。でも高地トレーニングをするアスリートは自らそういう環境に身を置いて運動能力を向上させるよね。

友人K: ああ、確かに。マラソンや水泳選手が高地トレーニングをするという話は時々聞くけど。

Dr.Y: この酸素濃度の低い環境下で心肺機能が鍛えられる事も単なる生理反応?

友人K: いや。さすがに、生理反応では対応しきれないから、もう一つ高次元の事が起きていると思う。

Dr.Y: そうだよね。ここでは低酸素が刺激になり、HIF-1経路という経路を介して造血作用のあるエリスロポエチンがたくさん産生されてヘモグロビンが増えるとされている。つまり造血に関連する生体機能モジュールが微妙に変化したと考えられる。

友人K: ああ、なるほど。

Dr.Y: この様に環境の変化によって最初に生理反応が起き、次に生体機能モジュールが変化する。それに関連して時にエピゲノムの変化も誘導される。

Dr.Y: では、果たして、このエピゲノムの変化が子孫にも伝わるのか、または生殖細胞の遺伝子変異を誘導して子孫に伝わるのか。それが問題なわけだ。

友人K: そんな事があるのかな。でも、もしそれが可能だとすると、ワイスマンの障壁が乗り越えられる事になるね。


Dr.Y:この本ではそういった事象が起こり得るのか、を色々な例を出して説明しているのがとても興味深く、一度読んでみると良いよ。

友人K:確かに。ダーウィンとラマルクとどっちが正しいのか、というような単純な話ではないわけだね。

Dr.Y:ちなみに、本の最後の方で、中国で行われたキリンの首を長くする関連遺伝子を導入したマウスの研究が紹介されているんだけど、導入されたマウスはどうなったと思う?

友人K:えっマウスの首も長くなったのかな。どうだろう。

Dr.Y:答えは、この本を読んで確認してみてね。

友人K:・・・。


友人K:我々人類は今後環境の変化に対してどんな適応進化をとげていくのかな。

Dr.Y:環境の変化…例えば温暖化が進んで体温調節のため汗腺が発達したり皮膚の厚さが変化するとか?あるいはスマホ依存による近視の進行と首の骨の前傾化?

友人K:うーん。あまり想像できないや。俺は今のままあまり変化して欲しくはないなあ。

(飲み屋のスタッフさんが料理を持ってくる)

スタッフ:お待たせしました。鶏皮のパリパリ揚げとサバの炙り刺し、それからナマコの酢の物になります。

友人K:おっ料理が来たようだね。いただきましょう。

Dr.Y:ちなみにこのナマコは進化スピードが遅く、一部のナマコは古代デボン紀からあまり形態が変化していないという説もあるみたいだよ。Kの目標はこのナマコという事かな?

友人K:やめてくれ。ナマコぐらい何も考えず美味しく食したい。

Dr.Y:そうだね、ではいただきます!



いいなと思ったら応援しよう!