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コラム: 「咳止めだけください」
(注)この投稿は架空のシナリオに基づいて作成されています。内容は医療現場の一例をイメージしたものであり、実在する人物や事例に関連するものではありません。
1. 「咳止めだけください」という患者さん
Dr.Y: 次の方、どうぞ。
関: はじめまして。関(せき)です。
Dr.Y: 今日はどうされましたか?
関: 1ヶ月くらい前から咳が続いてるので咳止めが欲しくて来ました。
Dr.Y: それは長いですね。こんなに長いのは初めてですか?
関: いえ。年に2〜3回くらいはありますね。
Dr.Y: いつもどうされてるんですか?
関: 時々、病院やクリニックを受診して、咳止めなどを処方してもらって治してます。えーっと、お薬手帳もありますよ。これこれ。メジコン、フスコデ、リン酸コデイン。今日はこれらを処方してもらおうと。
Dr.Y:それらの薬は中枢性鎮咳薬と呼ばれ、咳の信号を抑える作用はありますが、根本的な治療を目的としたものではありませんね。
関: そうですけど、いつもこれを飲むと咳が良くなるんです。他の病院ではよく出してもらってます。
Dr.Y: なるほど。ちなみに咳の原因は何だと?
関: 私、昔から気管支が弱いんです。だから、こうして頻繁に咳止めが必要なんです。
Dr.Y: 『気管支が弱い』というフレーズはよく聞きますけど、医学的には曖昧な表現で何の説明にもなってないと思います。
関: ・・・よく分かりませんけど、でもこうやって咳止めを飲むと気づいたら治ってるんですよ。だからこれで良くないですか?
Dr.Y: でも1ヶ月以上続く咳が1年に何度もあって、それを無治療・無検査で放置しているって、よく考えると怖くないですか?
関: (面倒くさいな)うーん、じゃあ、今度調べます。今日はとりあえず咳止めだけください。来週から出張に行かなくてはいけないので。
Dr.Y: 早く何とかしたい気持ちは分かるんですけどね。原因を調べずに咳の感覚だけ麻痺させるような『臭いものには蓋(ふた)を』的な事はちょっと…。
関: いやいや、頼みますよ先生。もー真面目だな。いつも他の病院では出してもらえてるんですよ。そう固いこと言わないでくださいよ。
2.「咳止めだけください」の罪
Dr.Y: 申し訳ないです。よく分からず咳止めだけ出す事はできません。原因調べずに咳止めだけ飲んでて悪いことたくさんありますよ?
関: 悪いことって、例えば?
Dr.Y: まず咳の原因を見つけるのが遅くなります。中には結核とか肺癌とか治療を急ぐ病気もありますから。
関: そういう病名を言われると怖くなりますが、でも稀な病気でしょ?
Dr.Y: 実際にそうだった時のダメージを考えると切り捨てられるほど稀とは言えません。頻度でいうなら、長引く咳の大部分を占めると言われている喘息や咳喘息では、無治療の期間が長いほど治療が効きにくくなります(1-4)。
関さん: 『気がついた時には症状がとれなくなっていた』という事ですか?
Dr.Y: それだけでなく、ひどい発作を起こして救急受診したり入院したり、下手したら命に関わる事もあります。
関さん: そんな大袈裟な。
Dr.Y: 大袈裟ではありません。火山の下でマグマの活動がぷすぷす燻ってるのに、見てみぬふりをしていたら大爆発しました、というような感じです。
関: ・・・。
Dr.Y: それに、こういう中枢性鎮咳薬は無理やり咳を抑えるので、痰を出す能力も低下させてしまうんですよ。
関: 痰なんて出ない方が良いじゃないですか。
Dr.Y: いえ、痰が作られなくなるのではなく、体内で作られた痰が外に出ていかなくなるんです。
関: 痰が体の外に出ていかないとどうなるんですか?
Dr.Y: 感染症では、痰と一緒にウイルスや菌がとどまり続けると治るのが逆に遅くなります。また、十分な排痰がされず炎症がくすぶり続ける事で気管支の構造が破壊される病気もあります。
関: そんな病気があるんですか。
Dr.Y: 気管支拡張症や、非結核性抗酸菌症など、後で調べてみてください。こうした気管支構造の破壊は不可逆性の変化なので、一度壊れたら元には戻らないです。
Dr.Y: これら決して稀な病気ではないですよ?こういった病気に対して中枢性鎮咳薬で症状を誤魔化し続けていると、逆に悪化してしまうわけです。
3. 「咳止めだけください」の心理とは
関: なるほど。色々あるんですね。
Dr.Y: 「咳止めだけください」という受診が多いのは事実です。正直、その人達の気持ちは分かるんですよ。過去にそれで症状がとれたという成功体験があると、また同じ対応をというのは自然な心理だと思うので。言われるがまま咳止めを出す医師の方にも問題はあると思います。
関: 本音を言うと、「いつか調べなくては」とは思っていたんです。でも、咳止めを使うと一旦は良くなった気がするし、症状が消えてしまえばまた受診するのが億劫になって…。
Dr.Y: 喉元すぎれば何とやらというやつですね。
関: あと、咳がよく出る状態に慣れてしまって、「あーまた咳が出てるな」と思うくらいで異変を感じなくなってしまっていたんです。
Dr.Y: 慣れは怖いものですね。感覚が麻痺してしまっているわけですね。自分ではあまり意識していなくて、ご友人や仕事の同僚から病院受診を勧められて来る方も多いです。
関: まだ出張まで1週間あるので、明日いつもかかっているクリニックに行ってよく調べてもらおうと思います!
Dr.Y: 出張に間に合うと良いですね。ここで調べていかなくて大丈夫ですか?
関: はい。どうせなら通院しているところで調べた方が無駄がないと思うので。
Dr.Y: 分かりました。それではお大事になさってください。
注)この投稿は架空のシナリオに基づいて作成されています。内容は医療現場の一例をイメージしたものであり、実在する人物や事例に関連するものではありません。診断や治療については記載された情報を基に自己判断せず、必ず主治医に相談してください。
参考文献
1. Fujimura M, Abo M, Ogawa H, et al. Respirology. 2005;10:201-7.
2. Matsumoto H, Niimi A, Takemura M, et al. Cough. 2007;3:1.
3. Yamasaki A, Hanaki K, Tomita K, et al. Int J Gen Med. 2010;3:101-7.
4. Niimi A, Ohbayashi H, Sagara H, et al. J Asthma. 2013 ;50:932-7.