SING YOUR WORLD
いろんな意見があって良いと思うし、批難と取られるのも気持ちよくないので触れない方が良いんだけど、やっぱり気になってしまったので、そこは正直に書いてしまおう。配信ライブが始まってまず思ったのは、 ikura さんの衣装の狙いは何なんだろう、髪型の狙いは何だろう、というあたり。
そりゃそうだ。 YOASOBI のパフォーマンスでどうしても真っ先に意識されるのは、少なくとも私にとっては ikura さんのビジュアルなんであり、そこからの歌い出し、歌唱と所作、演出という順番になる。なので髪型と衣装には注目せざるを得ない。さらに言うなら、同様の感覚はこれまでも繰り返されてきたのであって、紅白でもそうだったし、 ”KEEP OUT THEATER“ においてもまったくもってそうだった。
そのうえでの今回の “SING YOUR WORLD” の髪型と衣装という流れというか、何かストーリーのようなものすら妄想されてしまうから困ったもんだ。これってアレなんだろうか。敢えて言及するけど、星野源さんの言う「国民の孫」 的な何かの表象なんだろうか。ジェンダーレスというと言い過ぎになるけど、そういう方向性の意思の表れなんだろうか。
とここまでつらつら書いてきたところでアフターパーティを見ていたら、答えらしきものへの言及があった。今回の衣装は、指揮者を意識しての燕尾服風コンセプトとのこと。確かに Ayase さんはそれでしっくりくる。後述するけど、今回の Ayase さんは確かに指揮者然とした佇まいだった。けれども ikura さんはどうなんだろう。オフィシャルな解答に対してこれ以上の深追いはしないけど、うーむ。
次に意識に上ってきたのが、これまた紅白、そして ”KEEP OUT THEATER” と代々受け継がれてきた認識の確認にして、 Ayase さんの作る曲のこれでもかとばかりの困難さだった。歌詞が一貫して平易でシンプルなのに対して、曲の激ムズさが際立つ。この対比もまた、 YOASOBI 楽曲の特徴の一つなんだろうと思う。
某テレビ番組でオペラ歌手だったかの方が、ボカロ曲は生身の人間の都合を考慮してくれないと嘆いていたけど、そして YOASOBI の楽曲はボカロとは一線を画するとする意見があるのも知ってるけど、それでもやはり既述のごとく、 YOASOBI の革新とは、ボカロ文化の進化形であるとする認識に修正の必要性は感じない。曲に関しては ikura さんの歌唱力を持ってしてもなお届かない感じが、なんとももどかしかった。
それでも少しづつではあっても、攻略してきてるのが伝わってきたのが喜ばしかったかな。歌い込んできたであろう「夜に駆ける」と「ハルジオン」はこれまでで最高のできだったと感じたし、「たぶん」も、怪物/優しい彗星のブルーレイ収蔵アコースティックセッションのものと遜色なかったように思う。「怪物」はやむを得ないかなとも思うけど、”KEEP OUT THEATER” の時よりは着実に進化していたとは言えそう。上から目線で申し訳ないけど、こういった進化、成長を楽しめるというあり方は、日本文化の特徴にして美点だろうと思う。
大阪桐蔭高校の吹奏楽部172人による、吹奏楽アレンジの「ハルカ」と「群青」は、これはもう圧巻としか言い様がなかった。いみじくも ikura さんが「 Ayase さんのパソコンの中で作られた楽曲が172人による演奏で」といった趣旨のことを語っていたけど、正にそこ。 YOASOBI が成し遂げてきた奇跡のような道のりの、それは極めて的確な現在位置の指摘になっていたと思う。
この吹奏楽演奏がもっとも分かりやすかったけど、今回の配信は、パソコンのスピーカではあっても、音響的にもこれまでで一番聞き心地が良かったことにも触れておきたい。 YOASOBI バンドの演奏も粒立ちが良く感じられ、聞いてて気持ちよかった。
Ayase さんのプロデューサー感というか、これまた敢えて言及するけど小室感も、際立っていたように感じられた。というか衣装を含めてそういう演出意図のようなものが、全編を通して一貫していたように思う。これまでの、とりわけ ”KEEP OUT THEATER” において漂っていた一歩引いた感、 ikura さんに対する黒子感がよく払拭されていて、 ikura さんと比肩される Ayase さんの主人公感というか、指揮者コンセプトがよく表現されていたんではないか。