他者からのまなざし
LINEのトークリストを眺めていて、1つ前の会社で知り合った同僚(後輩女性)のLINEを見つけた。
お互い転職し、それ以来は会話をしていない。(転職前に一度会って相談したりはしていたが)
最後になんの話をしたのかは覚えていなかった。
興味がわき、何気なくタップする。
最後のやりとりは約3年半前だった。
「今日が入社日ですよね!心機一転頑張ってください!」
応援のメッセージだった。
朝、出社中に受信したメッセージ。
このLINEの前のメッセージは2か月程前のメッセージだった。
その時は退職についての話題だった。
「結局退職伝えましたか?」と。
同僚は自分よりも先に退職していた。
その時、まだ自分は会社に勤務していた。
自分が退職し、2か月の月日が流れ、転職先に勤める最初の日に送られてきた応援メッセージであった。
企業を退職すると、それまであった人間関係は無くなることが多く、この同僚とも例外ではない。
自分としても同僚との関係は切れたものと思っていた。
おそらく同僚もそうであったと思う。
しかし、同僚からしてみれば、人間関係は確かになくなっていたが「あの人はその後どうなっただろうか」という気持ちは残っていた。
覚えていた。
気にかけていた。
忘れないように。
記憶していた。
気遣い。
配慮。
力を与える。
伝えようと思った。
そこには相手への「眼差し」があった。
このメッセージを受け取ったときの感情がどのようなものであったかは覚えていないが、きっと嬉しさはあったはずだ。
驚きもあっただろう。
しかし、3年半経ってひさしぶりに見たこのメッセージは、以前受け取った時以上の温かいものを感じた。
気にかけてもらえることの嬉しさ。
(気持ちだけでも)関係が切れていないという支え。
他者と通じているという温かさ。
『まなざしの地獄』から「まなざしの不在」と言われる現代社会において、このメッセージには確かに温かいまなざしがあった。
だれでも良い「人たち」
だれでも良くない「あなた」
自分は、誰かにこのようなメッセージを投げかけることが出来るだろうか。
自分には、このようなメッセージを投げかけられる相手がいるだろうか。
自分は、メッセージを通して力を与えられる存在だろうか。
もうこの同僚と会う事は無いと思うが、いつか、何かの機会にメッセージでも送ってみようと思う。
どういう話をしてみようか。
どういう返答が来るだろうか。
楽しくやっているだろうか。
それを考えると、とても心が弾んだ。