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「証言ドキュメント 天安門事件」

NHK BS1スペシャル
証言ドキュメント天安門事件

概要
・1989年6月4日、北京・天安門広場に集まった学生デモを政府・軍が制圧する事件が起き、多数の死傷者が出た。中国政府は事件を歴史から抹消し、国内では語ることも検索して知識を得ることもできない状況が続いている。

・30年を経て、当事者たちに取材。その証言からは、「学生たちは民主化を推し進めていた胡耀邦(コヨウホウ)の死去を悼んで集まったもので、当初過激な集会ではなかった」「その様子を共産党の機関紙「人民日報」が「動乱」と表現し批難する社説を出したことで、学生たちが怒り、社説の撤回と表現の自由を求めるハンストなどに発展していった」といった、ことの経緯が分かってきた。

・胡耀邦の後を受け総書記についていた趙紫陽(チョウシヨウ)は、最高指導者・鄧小平に「社説の修正」を求めるが、鄧小平は「動乱を阻止するには戒厳令しかない」と述べ、軍による制圧が行われた。

感想
番組を見て天安門事件についてとてもよく分かった。そして、問題は結構複雑で、解釈に気を付けなければならないとも思った。例えば、多数の若者の命を奪った者は悪だ。しかし、「つまり社会主義が悪だ」とはならない。

天安門事件は、中国の未来を決める非常に重要な出来事だった。それは国として「専制政治維持か、民主政治化か」という2択を本気で迫られた唯一の場面だったからだ。まず整理しておきたいのだが、中国は政治制度は「独裁主義=専制政治(中国共産党による1党政治で選挙がない)」だ。政治制度が社会主義というのは誤り。つまり下記のようなことである。
日本 → 政治…民主主義 経済…資本主義
北朝鮮→ 政治…独裁主義 経済…社会主義
中国 → 政治…独裁主義 経済…資本主義(社会主義市場経済)
「中国は資本主義じゃないだろう」と怒られそうだが、国民個人が金儲けをしている現状を見るとそう考えた方が現実に近いのであえてそう解釈する。天安門事件が起きた1989年当時は改革開放路線が軌道にのり、すでに中国は「半資本主義」。つまり国民は経済的な自由を手に入れつつあった。そこは議論にならない。問題は、政治的自由、つまり民主化=デモクラシーだ。これを実行に移すのか否かを、結果的にデモの学生たちは中国共産党に突き付けたのだ。党内には趙紫陽のような民主化派もいた。この瞬間、可能性はどちらもあった。しかし、軍は学生たちをキャタピラで踏みつけ、党はその事件さえなかったことにすることで、一党独裁主義の継続を選んだ。この時決した政治体制が現在も続いている。

経済制度が社会主義が否かが問題ではなかったということは、ここで問われるのは、独裁主義の是非。独裁主義とはなんなのか。端的に考えれば国民に決定権がないこと。全くないこと。政治に関する決定権は中国共産党にしかない。だからこそ、たくさんの学生たちを殺害したあとも政権党も国家元首も変わらなかった。だれにもとがめられることはなく…。

ここにかけているのは、青臭くも「正義」だと思った。国であっても裁判にもかけないで人を殺していいわけがない。そんなことを実行した政治家は法によって裁かれる。こうした正義があればこそ、国民は国というものに所属していられるのだろう。「法治国家」ではなく「人治国家」とはよく聞くが、神でもない人に正義を預けるのは危うい。

天安門事件を経験し、生き残った若者や知識人の中には、海外で暮らしている人も多いようだ。もしかしたら、これから香港の若者たちが彼らの後を追うのだろうか。中国はいつまで独裁主義を貫けるのだろう。

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