y/n『カミングアウトレッスン』レビュー
y/n『カミングアウトレッスン』は下記のような公演であると記載されている。
舞台の上で「真実の告白」は可能か。同性愛と異性愛、虚構と現実、練習と本番、信頼と不信。様々な二項を選択、あるいは無効化する予行演習としてのレクチャー・パフォーマンス。
僕は「レクチャー・パフォーマンス」という形態については数年前に初めて見たのだけれど、その時に相当びっくりしたのを覚えている。というのも、「「レクチャー・パフォーマンス」というのは「レクチャー」ではあるが、「パフォーマンス」ではないのか!!」と思ったからである。言葉から期待したものとかなり違うものを観たからなのだけど、これがたまたまなのか、こういうジャンルなのかはそのときにはわかっていなかった。それ以降、TPAMや芸術公社の主催するシアターコモンズで度々レクチャー・パフォーマンスを見ることになったが、そのほとんどで最初に感じた「「レクチャー」ではあるが、「パフォーマンス」ではないのか!!」という疑問は解消されることはなく、徐々に「レクチャー・パフォーマンス≒エンターテインメント性の高いレクチャーであり、パフォーマンス(演劇)的なものではない」と思うことで、この形態について折り合いをつけていった。基本的には面白いスライドを作って、それを紹介する。口悪く言えば、TEDの親戚みたいな感じだと思うことにしたということだと思う。
だから、この『カミングアウトレッスン』を見たときに最初から「あれ??」という驚きがあった。というのも最初から「パフォーマンス」していたからである。後から見れば、クレジットにも「主演:橋本清 通訳:山﨑健太」とあるため、当然と言えば当然なのかもしれないが、少なくともこれまで観てきたスクリーンに照射したスライドを説明する形式とはかけ離れた形でスタートしていった。基本的には、橋本が過去のカミングアウトについて話していき、通訳の山﨑がその話を英語に通訳していく。スクリーンにはスライドもあるのだけれど、そのスライドはあくまでも橋本が話したことに関する補足説明や背景の説明に留まっている。
また、これはネタバレになるのでたぶん書かないほうがいいのだろうが、作品内にとても演劇的な仕掛けがあり、その仕掛けが発動した瞬間には「うっわ…」と鳥肌が立った。序盤のスライドの持つ先入観や、人が語るということのリアルさなどなどを絡めた素晴らしい仕掛けだった。
では、レクチャー性がないのか?というとそこもしっかり担保されていた。今作では、同性愛者のカミングアウトをテーマに扱っていることもあって、カミングアウトそのものについてやゲイの方の利用するアプリなどがレクチャーされる。ただ、それと併せて僕が感じている「レクチャー・パフォーマンス」という形態の持つ危うさみたいなもの利用した形のレクチャーも行われる。
僕が感じるレクチャーパフォーマンスの危うさというのは、これは自分が観たものがたまたまそうだっただけなのかもしれないけれど、どうしても先進国の人たちが自分たち国よりは「遅れた」国の酷い実情をレクチャーしてもらうという形式に見えてしまうということである。「選挙がこんな形で機能してません」とか、「昔こんな酷い虐殺がありました」とか、「このエリアはこんな酷い無法地帯になってます」とか。そういったテーマが観劇をするような観客にとって親和性が高いのかもしれないし、レクチャーしてもらう価値は間違いなくあるけれども、ダークツーリズムの欠点みたいなものと被るところがあるように感じる。
今作では、日本の同性愛者に対する対応のダメさや世界的に遅れている点もレクチャー要素として入っている。同性愛者に対する対応のダメさみたいなものは日本の人から見るとそうだね…的なものだけれど、これが海外で上演されたときには「うわー、日本はこんなに遅れているのか…」的な学びがあるのだと思う。もちろん、そのことを隠すことがいいことだとは思わないので入れたほうがいいに決まっているのだけれど、自国のことについて語るレクチャーパフォーマンスを見て、なんとなく今まで頭の片隅にあって言語化されていなかったレクチャーパフォーマンスについての考えがくっきりした。
ただ気になったのは、日本語での情報量の多い語りに対して英語の翻訳がだいぶ情報量が落ちていて、これが意図的なものなのか時間的な制約なのかがわからなかった点にある。日本語話者である僕は基本的には日本語で語る橋本の語りで内容を理解するので、先に書いた仕掛けも十分に理解できるのだけれども、この作品を英語でしか理解できない人がこの作品を見たときにどう思うのかについては、その人達に聞かないとわからないな…と感じた。ただ、こうした疑問が生じるのも、「TPAMで上演するというのはどういうことなのか」を考慮した作品であるからだと思う。僕個人としては、そうした方向性の日本の作品を見ることが少ないというかほぼないので、これがどういうリアクションを得られるのかはかなり気になっている。
この作品自体が同性愛者の全てについて語りきっている訳ではないので、こういう点を考慮できていないといったことはたくさんあるのだと思う。ただ、カミングアウトすることが持つ何かを表現した上で、それを受け入れる側が持つべき知識についてもレクチャーを行うという素晴らしいパフォーマンスであったと思う。