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時代が動いた結果としての今(日和佐浦地区について考えるⅠ)

オンラインで美波町を歩いた

 徳島県海部郡美波町、太平洋に面する、漁業を中心とした小づくりな町である。東京からは500キロほどの距離があり、公共交通機関を使った場合、飛行機で羽田から徳島阿波踊り空港までは、1時間強ほどなのだが、そこから徳島駅までリムジンバスで向かい、さらにJRの汽車(電車ではなく)で、町の中心にある駅「日和佐」まで50キロ弱、1時間半ほどでその町に辿り着く。鉄道で50キロ弱とは、東京圏で言えば、東京から戸塚までの距離であって、それほど長い距離ではないのだが、なぜか単線のJR牟岐線で上り列車の通過待ちをしながら、見慣れない四国平野の風景の中を電車で進んでいくと、限りなく長い時間を過ごしているように思える。

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 朝9時に羽田を飛び立っても、着くのは午後1時半で、物理的な距離もあるが、公共交通機関の都合も、人の移動には大きな影響を与えていることを痛感する。もちろんその分の時間と共に、交通費の負荷も大きい。片道だいたい3,4万円ほどは用意しなければならないだろう。つまり、東京圏の人間にとっては、それほど気軽に行ける場所ではない。美波町は、長らく大学での学びの素材として取り上げたかった場所ではあるが、少なくとも多くの学生と実際にフィールドワークに出かけることはできなかった。

 人が動かない、集まれない時代になって(一過性のものではないと思うので、断言してしまう)、教育も大きく変わらざるを得なくなってきた。2020年から曲がりなりにも高等教育を成立させていたのは、オンライン技術であることは間違いない。高等教育はオンラインで、ほぼ出来てしまう、これは間違いのない事実だろう。
 そんな中で、唯一オンラインに馴染まなかったのは、フィールドワークである。実際に現地に行き、その場所で様々な学問的なリサーチを行う学びの手法だけは、物理的に現地に行くという行為が無いと成立しない。例えばマップ系のサービスである、Google EarthとStreet Viewを使って、疑似的なフィールドワークはできないだろうか。要するに苦し紛れの策として、オンラインで学生諸君と共に、美波町に向かうことになった。

 結論的に言えば、実際に現地に足を運ぶこととは、全く違う体験をすることとなった。既に授業自体は、Zoomを使ったオンライン形式のものになっており、中でも画面共有の機能を活用している。詳細は以下のnoteに書いたが、ホスト側のPC画面を受講側も共有するため、あたかも全員で同じ景色を見るという疑似体験ができるのである。何十人もの学生と、500キロも離れた場所に行き、全員で街歩きをしながら同じものを観察して行くことなど、まず出来ることではないだろう。オンラインでのフィールドワークは、実際のフィールドワークの疑似体験というものでは決してない。その意味からは、実践的な学びに新たな可能性をもたらすものと言っていいだろう。

StreetViewで見た美波町の中の不思議な景観

 実際にその町を歩くと、目の前にある景色に圧倒されてしまうのは、否定できない。筆者も複数回美波町に足を踏み入れているが、地元の人に自動車で案内されたこともあり、正直に言えば、町のどこをどう見たのか、余り記憶にない。少なくとも見ているものを批判的に見ることはできなかったし、地域そのものを俯瞰して見ることもできなかった。フィールドワークには、こういった落とし穴がある。
 今回はStreet Viewを使って、じっくりと美波町を見る機会を得た。これは地元の人の感覚が介在しない、純粋な余所者の目だと言っていいだろう。
例えば、美波町で言えば、地域のコアともいうべき、札所である薬王寺や、その門前町などは、地元の人にとって最も紹介したいポイントだろうし、さらにウミガメの産卵地で知られた大浜海岸などの観光スポットなどは定番であろう。実際に、現地の観光ボランティアガイド会でも、「のんびりうみがめコース(約1時間)」、「たっぷり薬王寺コース(約1時間)」といったモデルコースが設定されている。

 誤解を恐れず言えば、こうした観光スポットは、Street Viewを通して見ると、意外なほどに興味をそそらないし、正直言って、そこでの発見も少ない。観光スポット自体、ネット上の情報量が多いことに加え、Street Viewでの記録が、その場所にとってのベストな記録で無いことに起因するのではないかと考えている。
 そもそも観光スポットは「ハレ」の場所であって、その非日常性こそが、地域における存在意義である。Street Viewは、決して「ハレ」を記録しているものではない。写真を写すという行為は、多かれ少なかれ、撮る側の意図や価値観などが介在するものだが、Street Viewは被写体に対して何の感情も無く、機械的に撮影したものでしかないということを、改めて痛感する。全ての景観を、「ケ」のものとして記録したデータにしか過ぎないのである。

 これは、観察者にとって大きな影響がある。実際のフィールドワークでは、既に観察者の目が写真家のように、ある種の意図をもって見ているはずである。少なくとも目に映るものを、全て客観的には見ていない。様々な情報をフィルタリングし、観察すべきものをフレーミング(切り取り)しているはずなのである。改めて考えると、フィールドワークの作業を通して現地で見たものは、意図的な観察対象を除けば、多分に感覚的な要素が多かったように思われる。Street Viewでは、実際には見逃してしまうようなものごとを、一度客観化して見るような視点で対象の観察をすることになる。

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 こうしてStreet Viewで美波町内を巡ってみたのだが、美波町内の景観の中で、一番目に留まったのは、こうした観光スポットではなく、町の中のある地区、「日和佐浦」という大字である。ここは、美波町のほぼ中心部の海沿い一帯の細長い形状の地域であり、ウミガメが上陸する大浜海岸も含まれている。その地域の北側の一区画、北河内谷川に掛かる厄除橋を渡った一帯、美波町の景観では、多くの学生も同じようにこの地域に関心を持ったようである。実際に、そこにも数回足を運んだことがあるが、地表から見ると古びた建物が並ぶ、住宅街にしか見えない。

 都市部で街中を歩いていると、ほぼ私道のような路地の奥などに、相当に古びた民家に出くわすことがある。都市部の常であるが、古い家を壊している時に、思わぬ場所にあるそういった家が目に触れることもある。昭和30年代初頭頃の建築と推定されるような、木造の建物などは、かつての町並みを推定させるが、一軒だけ取り残されている様子は、もの悲しいものでもある。

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 我々都市部の人間にとって、「古民家」と言えば、だいたいこういったイメージだろう。美波町の日和佐浦地区は、簡単に言ってしまえば、町並みが全てこういった古民家によって成り立っている。但し一点だけ大きな違いがある。

 Street Viewで見る限り、昭和30年代どころか戦前の建築であろう、同じような形をした多くの木造民家がずっと立ち並んでいる。しかし都市部の木造家屋に比べて、造りがしっかりしており、特段丁寧に扱われているわけでも無いようではあるが、家々が整然とした印象が強い。決して都市部の木造家屋のように、老朽化という印象はない。おそらく、都市部では戦後の復興期から高度成長の入り口まで、建築資材が極端に足りなかったのであろう。それに比べると、時代性もあるとは思うが、圧倒的に建材としての木材が潤沢だったのだろうと推定される。
 台風の影響から守るためだろう、がっしりとした瓦屋根と低めの二階部分から成っているのが、どの家にも共通している。さらに通りに面して、広い間口のある家が多い。こうした家々の中はどうなっているのだろうか。二階には何があるのだろう。そもそもこれらの建物は、いつ頃どういう人が建ててどう暮らしていたのだろう。そしてなぜ今まで、このままこの場所に残って来たのだろう。

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 もう一つ、Street Viewで発見したことがある。上に示したのは、同地域でStreet Viewがカバーしている道路である。Street Viewは、公道の景観しか記録していない。そのため、個人の撮影による360度写真も含まれているが、あくまで点でしかない。この街の通りを進んでいくと、建物の間々に、路地、小路が点在しており、その奥にまた建物などがあるのが見て取れる。図に見るここは、水路のようにも見えるが、奥にも同じような建物があり、生活があるのだろう。

 こうした路地のことをこの辺りでは、「あわえ」と呼ぶそうだ。路地のある通りと言えば、京都を思い出すが、あちらでは「間」のことを「あわい、あはひ」と呼ぶそうである。おそらくそこから来た言葉であろう。

「間」という字は、「ま」とか「かん」「げん」などと読みますが、「あい」とか「あわい、あはひ」とも読みます。「awai」の「あわい」という読み方はここから来ています。

 Google Earthでこの大字を俯瞰して見ると、通り沿いよりも、この路地の先の方が、遥かに広く、さらに興味を惹く。前述の観光ボランティアガイド会にも、この日和佐浦近辺を中心とした、あわえ・町並みコース(約1時間)というルートが用意されているようである。

 明らかにこの小さな地域とここにある建物、そして路地は、今、美波町にとっては掛け替えの無い、地域の財産と言ってもいいかもしれない。観光客ではない我々にとって、大きな関心事項は、この町のこの大字に残る景観の理由である。以降、国勢調査のデータ等を元に、この地域の経緯を分析していくことにする。

以下、時代が動いた結果としての今(日和佐浦地区について考えるⅡ)へ

戦後の大きな社会変化と地方都市
地方への影響の波及
タイムスリップした美波町の街灯
女川の駅に立って感じたこと(レジリエントな町)
老朽化という見えない確実な災害
「村看取り」と記憶

topの画像は「鶴」さんのものを拝借しました。古民家から外を見るとどんな感じなんだろう。


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