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都市型過疎・限界集落について (1.国勢調査に基づく分析)

※本記事には具体的地域名を挙げてあります。全て国勢調査を基にしたもので、公開資料に基づいた考察結果です。言うまでも無く、各地域を貶す意図にはありません。ご了承ください。

0.地方の過疎、限界集落

 21世紀になって、50年以上続いてきた戦後社会の様々な問題点や課題が、顕在化してきたといった印象がある。政治や社会、経済などに対して、マクロからミクロまで、様々な指摘を見ることが多くなった。もちろん、マスメディア以外にネットメディアが存在感を増してきており、多様な意見を目にする機会が増えたという事情もあるだろうが、その大きな要因は、様々なシステムの老朽化と言っていいのではないだろうか。
 ここで取り上げるのは、地域の過疎とその辿り着いた先にある集落の限界化である。地域の過疎化から限界集落化、そして廃村、消滅集落まで、昨今では人口減少社会に纏わる地域の衰退が、声高に指摘されるようになって来た。過疎に関しては、過疎地域の持続的発展の支援に関する特別措置法(令和三年法律第十九号)、通称過疎法によって、詳細に規定がなされている。そこでは人口要件と財政要件の2つの側面から、衰退していく自治体を規定し、国から財政的支援を行っている。端的に言えば、若者に比べて高齢者の比率が高く、さらに人口が減少傾向にある基礎自治体が対象となる。

過疎法は、自治体を単位にしたものであるが、同法規第一条には、過疎地域に関して以下のような記述がある。

この法律は、人口の著しい減少等に伴って地域社会における活力が低下し、生産機能及び生活環境の整備等が他の地域に比較して低位にある地域について、総合的かつ計画的な対策を実施するために必要な特別措置を講ずることにより、これらの地域の持続的発展を支援し、もって人材の確保及び育成、雇用機会の拡充、住民福祉の向上、地域格差の是正並びに美しく風格ある国土の形成に寄与することを目的とする。

https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=503AC1000000019

人口の著しい減少などによる地域の活力低下に関しては、自治体を単位とした問題だけではなく、むしろ小地域(市区町村よりも小さい単位である町丁・字等)にこそ顕在化して行く。昨今では、こうした町字、集落を単位に過疎化を捉えることも行われており、限界集落という概念も提起されている。これは法規に定められたものではなく、その経緯や詳細は省略するが、一般には「人口の半数以上が65歳を超えており、社会的共同生活の維持が困難になった集落」を指している。65歳以上の人口を「高齢者人口」と呼び、65歳以上人口の総人口に占める割合が高齢化率(高齢者人口割合)である。要するに労働力人口を終えた世代が高齢者ということになる。
地域の共同生活には、日常における農業用水や森林、道路の維持管理といったインフラ面や、食料の入手など、さらには冠婚葬祭など、広くハレとケを含んだ様々な活動が含まれる。

現在では小地域として捉えられているが、元々「大字」は江戸時代の村名を継承した範囲・地名であり、「字」は大字より小さい集落の範囲につけられた地名である。

その起源は豊臣秀吉が行った太閤検地にさかのぼり、元々は年貢を徴収する田畑を管理するために付けていた記号のようなものでしたが、江戸時代に各地の集落が拡大すると、人々が住んでいる場所でも村名の後ろに小字が付き始め、次第に住所(○○の国 △△郡 ××村 字□□、など)として定着していったものとされています。一方で「大字」の由来は明治時代に市制・町村制へ移行するために行われた市町村合併にあり、その際消滅することになった江戸時代からの村の地名や区画を、そのまま新しい自治体が引き継いで残したものです。

つまりは、小地域として把握されている地域は、歴史のある地域からの生活の単位でもあり、日常から祭礼に至るまで、様々な生活に根差した活動が行われてきた。時代を経て、産業経済から社会体制まで、大きく変化をしていくことによって、こうした地域そのものが変質して行くもは当然であり、ここに至るまで消滅した地域も多く存在する。特に現代社会における様々な変化を受けて、人口減少を主因とする小地域の衰退を、広く限界集落と称しているのである。
こうした過疎や限界集落を巡る議論は、概ね地方の課題として捉えられており、地方創生政策などの文脈で議論されることが多い。確かに筆者らも、かつて研究室で徳島県海陽町の中山間部に位置する限界集落にフィールドワークを行ったことがある。豊かな自然に囲まれていながら、高齢者しかいない集落は、静かに村じまいを準備しているようにも見えた。
 しかし高齢化が進むのは、地方だけではない。都市部も間違いなく高齢化しており、地域の過疎化、限界集落化という現象は、起こりつつある。特に都市圏で生まれつつあるそれらを「都市型限界集落」と総称する。本稿では、その都市型限界集落に関して、実地調査を含めてリサーチを行い、それらが発生するメカニズムと影響に関して考察する。

1.都市部にある過疎地

 令和2(2020)年に行われた国勢調査は、第21回目のものであり、大正9(1920)年の第1回国勢調査から100周年目にあたる。昭和55(1980)年調査からデータとしても公開されており、加工することも容易になっている。
最新の2020年調査から、東京都23区内の小地域集計を用いて、各地域ごとの年齢別人口を元に、高齢者比率、若年者(15歳未満)比率、若年高齢者比率などを求めた。
地域の住民数を見ると、中々に興味深い点が見えてくる。例えば小地域毎の人口総数を昇順に並べたもののうち、先頭からいくつかを並べてみたものが以下である。世田谷区駒沢公園や大田区多摩川河川敷など、住民が想像できないような地域に住所地を持つ人が存在しているのも興味深いが、住居表示のない単独町名である、千代田区神田平河町や新宿区市谷鷹匠町などの他、事務所街や官公庁が並ぶ地域、そして歓楽街などが挙がっている。これらは住民数は少ないが、過疎とは呼ばないだろう。

 余談だが、千代田区北の丸公園は、住民数が719で、うち若年者が144名である。同地には警視庁第一機動隊、宮内庁代官町宿舎、皇宮警察宿舎などがあるためと思われる。

 こうした特殊な地域を除き、概ね住民数が1000人以上の地域を改めて見てみると、その中に高齢者の比率が高く、逆に15歳未満の数が少ない地域がかなり存在するのがわかる。ちなみに、全国と東京、区部、大阪、市内の数値は以下である。

 住民数がほぼ1000人以上の小地域を、高齢者比率の高い順に並べたものが以下である。どの地域も、東京圏のデータよりもはるかに高い高齢化の傾向を示している。

 高齢者比率が50%を超えている地域は、8か所あり、特に上位、大田区 東糀谷 六丁目、世田谷区 大蔵 三丁目は、60%を超えている。この数値だけでも、立派な限界集落である。以下、北区 桐ヶ丘 一丁目、二丁目、北区 王子本町 三丁目、新宿区 戸山 二丁目、板橋区 新河岸 二丁目、板橋区 新河岸 二丁目、北区 赤羽西 五丁目といった地域が並ぶ。数値だけで言えば、限界集落と言っていい地域である。これらを最近は、「都市型限界集落」と呼んでいる。

 これらの地域にはどういう特性があり、地方の限界集落とはどこが異なっているのだろうか。国勢調査のデータ上からは、そうした点まではわからない。本稿では、実際の地域の現地調査を元に、「都市型限界集落」が何故生まれて来たのか、そしてその社会的な影響について考察する。

 言うまでもなく、一つだけ明確なのは、地方の限界集落は、主に1次産業を基幹産業とする地域の衰退の結果であり、生態系サービスと呼ばれる、自然の資源による様々な収穫を生活の糧とする基本的な生活が成立しているということである。

 地方の限界集落とは、高齢者が細々と山の中の耕作地を耕している、そんな光景をイメージするだろう。筆者は実際にその場所に赴きフィールドワークを4期ほど行った。確かにその通りの集落だったのだが、地域住民自体が都市部の高齢者とは全く違う。山道を普通に農機具を持って歩き、普通に畑を耕し、川から鮎を採ってきて集落のみんなで食べる。元気なおじいちゃんおばあちゃんということではなく、普通に生活をしている人々だった。要するに、老人という括りではなく、現役の生活者だったのである。
 つまり限界集落とは、老い先短い高齢者が覇気なく暮らしている町と思いがちなのであるが、実際には長い年月を生き残った、ポテンシャルの高い集落だということが、現地に行って初めて分かった。

https://note.com/yharuki/n/n5a8b77d2e9d8

 言うまでも無く、都市部の限界集落には、こうした生態系サービスは一切存在しない。そのため、住民が1次産業に従事しているというケースは全く存在しない。1次産業の産品である食料に関して言えば、都市部はあくまで消費機能しか持たない地域である。そうした特徴を持った「都市型限界集落」に関して、リサーチを行って行くことにする。

 なおネタバレ的な結論を言えば、これらの全ての地域に、大規模な都営住宅、区営住宅などの公営住宅が存在する。以下は参考写真である。

https://note.com/yharuki/n/n560cc0726731


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