おじいちゃんとおばあちゃん
連日お散歩日和ですね。
以前もnoteに書いた、なんとか継続していることの一つお散歩。
休日には往復約10キロの長距離お散歩にも挑戦しています。
徒歩35分くらいのところにあるお墓は、往復約5キロというちょうどいいお散歩コース。散歩がてらお墓参りをして、心身ともに爽快です。
お墓コースの復路で、祖父母との思い出がよぎりました。
祖父母
祖父母が他界したのは10年ほど前のこと。
私と兄二人はシングルマザーである母に育てられました。
シングルマザーだからといって女手一つで育てられたわけではありません。
母の実家は、私たちが住んでいたマンションから徒歩1分。
そこには祖父母といとこ家族が住んでいて、いとことは実の兄弟のように、伯父伯母とは実の親子のように、私たち家族はみんなに支えられて生活していました。
学校が終わると祖父母の家に帰り、一緒に夕飯を食べている頃に母が迎えに来る。
学校が休みの時は母の出勤と同時に祖父母の家に行き、一日中過ごす。
家が2つあるような生活。
思い返してみても、楽しい思い出です。
祖父母は、孫である私から見ても、互いを大切にしている仲のいい夫婦だったと思います。しかし、照れくさいせいか互いを褒めることはありませんでした。
祖父は、細身で手足が長く服装も洋風でかこいいおじいちゃんという感じ。でも髪は波平さんのようでした。
祖母は、おもちのように肌が真っ白でころんとしたかわいいおばあちゃん。
祖父も祖母もいつでもきちんとした身なりをしていました。
つまり、外見に気を使っていたのです。
そこで、小学生だった私はひらめきました。
褒められたら嬉しいはずだと。
毎週日曜日、祖母とデートをしていた私は、身支度を済ませたいつもよりキレイな祖母に向かって「わあ、おばあちゃんかわいい!ね!?おじいちゃん?」と言いながら祖父を見ると、祖父は「わああ、世界一きれいだな!!」とふざけた顔をしながら大きな声で言ったのです。
祖母は「また、ばかなこと言って」とあしらっていましたが、めちゃくちゃ嬉しそうな顔をしていました。
料理上手だった祖父は、私のおやつまで手作りしてくれていました。
よくフライパンでケーキを焼いてくれました。片手でくるっとケーキをひっくり返す祖父を見て「わー!おじいちゃんすごい!!ね!?おばあちゃん?」と祖母に振ると、祖母は仕返しのように「ね!!おじいちゃんはすごい!世界一!!」と笑いながら褒めました。
それから私はことあるごとに祖父には「おばあちゃんかわいいね!」「おばあちゃんきれいだね!」と、祖母には「おじいちゃんすごいね!」「おじいちゃんかっこいいね!」と振り続けたのです。
私の振りに祖父も祖母も毎回「おばあちゃんは世界一きれいだ!」「おじいちゃんは世界一すごい!」とネタのように返してくれていました。
褒める時も褒められる時も、少女のような少年のような笑顔で笑う祖父母を見ているのが私は大好きでした。
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いい話のように書きましたが、小学生のうちからこんな企みをしていたなんて、腹黒すぎませんか。。
私の腹黒さについては一旦おいておいて。
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祖父母との思い出を通して、人は本心で他者を褒めると褒められた人はもちろん、褒めた人も褒められた時と同じぐらい(またはそれ以上?)嬉しいのではと気が付きました。
褒めるに限らず、感謝など気持ちを伝えるのも同じだと思います。
頭や心で思っていても、言葉にしなければ相手には伝わらない。
相手を褒めたり、感謝の気持ちを伝えたりすれば、お互いハッピーになり、ひいてはより良い関係が築けるのでは。なんと平和な状況。
祖父母には半ば強制的に褒め合わせていたのに、今自分は周囲の人を褒めたり気持ちを伝えたりしているのかと聞かれると...
残念ながら、答えは「いいえ」なのです。
まずは、一番身近な母から。
髪型・化粧・服装・料理などいろいろ褒めてみました。もちろん本心で。
すると母は「そう?やった〜!」と素直に喜んでくれました。それを見て、私もなんだか嬉しかったです。
次は友人だ。
少しずつハッピー連鎖をおこしていきたいと思います。
散歩がてらのお墓参りで、いい収穫がありました。