わたしの娯楽
「日常に必要不可欠な娯楽を1つだけあげるなら?」
と聞かれたら、なんと答えますか?
音楽?映画?
私は迷わず「読書」と答える。
子供の時から本が大好きで読み始めると止まらなかった。
お勧めは映画化された小説を読むこと。
まず、映画のキャストの写真をよく見て覚える。
それから、小説の登場人物を俳優さんたちで想像しながら読むと、頭の中で映像がかなりリアルになる。
一時期はまってたくさんの小説を頭の中で映画化したものだ。
そんな私が1年間本が読めずにいた。
去年大切な家族を亡くし、色々な意味で不安定な状態だった。いろいろな手続きを済ませ、生活が落ち着いてきたころ、時間的余裕ができたにもかかわらずどうしても本を手に取れなかった。
こんなことは初めてで自分でもすごく不思議だった。
しかし、時間の経過とともになんとなくわかってきた。
どうやら私にとって読書とは、本の世界に飛び込んで現実逃避ができる外に向かったものであると同時に、自分自身と向かい合う内に向かったものでもあるようだ。
つまり、大切な人を亡くしたことを真正面からはとても受け止めきれずにいる私は自分自身と向き合うのが怖かったのだ。
本を通してでも今の自分を直視できず目を背けたかったようだ。
今となっては無理しないで正解だったと思うが、これは新たな発見だった。
本を読めなくなってからちょうど1年後、久々に何か読んでみようと思えた。
少しは自分自身と向き合えるようになったという前向きなバロメーターでもあるとホッとした。
でも何を読もう?
以前の私なら読みたい本がたくさんあったのに、今は何も思いつかない。
そこで、読んだことがある本の中から選ぶことにした。
選んだのは、村上春樹さんの鼠シリーズ。
「風の歌を聴け」
「1973年のピンボール」
「羊をめぐる冒険」 (←今ここ)
「ダンス・ダンス・ダンス」
前に読んだのは10年ぐらい前だろうか。
読んでみると初めて読むかのように新鮮だった。
私は読むペースが速い。
今は意識してゆっくり読んだり、同じページを繰り返し読むことを心がけている。
驚いたことに、10年前の私には到底理解できなかったであろう文や心に沁みる言葉の数々に気付かされた。
刺さる言葉は、その時の自分によって変わるらしい。
きっとさらにまた10年後に鼠シリーズを読み返すと感想が変わるのだろう。
本は何度も読み返すべきだと改めて実感した。
みんなそれぞれの然るべきタイミング・それぞれの然るべき方法があるようだ。
然るべき方法とは、知らず知らずのうちに常日頃癒され支えられているもの。
然るべきタイミングとは、自然に訪れるもの。
"私にとっての読書"を通して、然るべきタイミングに然るべき方法で人は少しずつ進んでいくと感じさせられた。