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「生きる」を支える。

私事で恐縮ですが、昨日、義理の父親が他界しました。享年87歳。

今週の土曜日(2月25日)の88歳の誕生日をお祝いしたかったのですが、それはかないませんでした。
緩和ケア病棟で、義母と一緒に義父を見送った家内は「穏やかで、とても静かに息を引き取った。安らかに見送れた。」と涙声で連絡をくれました。

病院でお世話になった看護師さんは、亡くなる日の朝、病室に顔を出した時は普通に会話をされたそうで、一昨日、家内が面会した際には、僕や息子が元気にしているか?と気にしていたとのこと。

人は死ぬまで『生きている』

言葉にすると、すごく当たり前のこの言葉は、17年前に膵臓癌で高いした父の最後を看取ったとき心に浮かんだものです。

父も、亡くなる数日前に見舞ったときは「心配するな。仕事、がんばれ。」と体をベットから起こし、いつもと変わらない表情で声をかけてくれました。

当時、父がお世話になった緩和ケア病棟の医師は、癌の痛みを緩和しつつ、ご本人の意識が保てるギリギリの量に麻酔を調整して、その人らしく、安らかに最後まで生きてもらうことを大切にした、と語ってました。

この言葉を聴き、母と二人で大泣きしたのを鮮明に覚えてます。

今日は、そんな父の思い出も一緒に思い浮かべながら、義父をしのぶ時間を過ごしてます。

不思議なもので、そんな僕の気持ちが分かったかのように、こんな動画がyoutubeのおすすめに表示されました。

【深く懸命に生きる】小児がん、心臓病、免疫不全症 重い病気と闘う子供たちが笑顔になれる場所
(ABCテレビドキュメンタリースペシャル#26)

一時間ちょっとのドキュメンタリーである本映像は、「こどもホスピス」を主題に取り上げたもの。

ホスピスというと、末期がん患者などのターミナルケア(終末期医療)を行う施設を想像します。亡くなった父も、最後の一週間、緩和ケアを受けました。だから、ホスピスは、余命いくばくもない人が最後の安息の時間を過ごす場所だと。

ところが、本映像の冒頭で紹介された「TSURUMIこどもホスピス」(大阪市鶴見区)は、全く違う施設でした。

ホスピスの語源は、「客人の保護者」を意味するラテン語「hospes=ホスピス」にあります。看取りの場というよりも、ひと時の休息と癒しを与える場、と言う意味なんですね。

「TSURUMIこどもホスピス」は、この考え方に基づいて、難病に脅かされている子どもたちの人生を明るく輝かせようと、日本で最初につくられた民間の小児ホスピスです。

難病とともに生きる子どもたちやその家族に、1日、もしくは、半日の短い時間であっても、つらい治療の日常を離れ、子どもらしく心から寛いで過ごせる場を提供しようという試みです。

このドキュメンタリー映像には、さまざまな親子の姿が描かれています。どの子供達も、難病とともに懸命に生き、その親、関わるスタッフが、子供達に必死に寄り添う姿が、どれも深く胸に刻まれます。

それでも、関わる大人が想像していたよりも、はるかに速いスピードで、小さな命が消えてゆく現実。

「たとえ一回の利用で終わったとしても、家族のストーリーの中で貴重な一ページになることが大事なんだ。」
「ここに来て初めて、夜寝る前、息子に『今日は楽しかったね』と笑顔で言えた。」

「こどもホスピス」では、医師、看護師、保育士、保護者、そして難病の子どもたち自身が、「生きること」に力を尽くしています。

治療を続けても、未来が見えない不安にさいなまれる母親には、スタッフが「今を見ましょう。お子さんとの、”いま”を大事にしましょう。」と寄り添います。


「正直に言ってくださって、ありがとうございます。そういうことなら、ここで治療をやめて、この子を家につれて帰ろうと思います」

ある子どものご両親は、幼い息子さんの病状の厳しさを医師から正直に告げらたとき、こう答えたそうです。

医師は耳を疑います。ほとんどの両親は「どうか最後まで死力を尽くしてほしい」と頼んでくるのが常だからです。

この家族はそれから3ヵ月、あちこちのテーマパークや温泉に、さらには泊りがけで東京ディズニーランドへ行って、充実した時間を過ごします。そして、わが子の最期を見届けた後に、医師ににこう語ったそうです。

「おかげさまで、私たちがしてあげたいと思うことはすべてできましたし、どこへ行ってもこの子は見たことがないほど楽しそうに笑っていました。」
「一生の思い出になりました。短かったですが、息子も良い人生を送ることができたと感じてくれたはずです」

「TSURUMIこどもホスピス」を立ち上げた医師は、この親子との出会いが、こどもホスピス設立の原点だった、と語ります。

「生きる」を支える。

子供であれ、大人であれ、誰しもが「死ぬまで『生きている』」。だから、それを「支える」。

医師でもない僕にでも、誰かの「生きるを支える」ことなら、できる。「二人の父」の「生き方」に想いを馳せながら、そんな風に感じています。

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