くたびれサラリーマン、ドツボる。どすーん、と落ち込む。ところが、「アイディアセラピー」で脱出成功できたのだ、の巻。

いつもミドルエイジクライシスは突然に。

久々の投稿となってしまった。前回の投稿時は夏真っ盛りで、セミが大騒ぎをしてるころだったのに。時は経つのが早い。そして自分の三日ぼうず力に驚嘆を隠し得ない。すごい、俺。全編後編、に全力投球。プルペンで豪速球を投げすぎた。

さて。

この脅威の三日坊主力だけでなく、筆が遠のいていたのは、じつはミドルエイジクライシスが随分と収まっていたことに他ならない。あんだけ、やべーやべーと言ってたのに。
でも、奴は闇からずっと覗き見してたらしい。いやらしいやつ。ほんとに。

じゃあ、なぜ今まで奴は身を隠していたのか、そして急に出てきたのか、ってことなのだけれど。前回も話した通り、やっさんのミドルエイジクライシスは、「他人の評価に依存してた」からと言った。
じつは、今回ミドルエイジクライシスが収まってたのは、「最近の仕事がうまくいって、評価されてたから」で、気分良く過ごせていたからなのだ。で、今回、奴が身をもたげてきたのは、「仕事でうまくいかず、上司の評価が下がった(と思う)」からなのだ。つまり、結局、奴の支配下に依然として置かれていて、うまく奴の手のひらで転がされていただけだったのだ。気づかれないよう用意周到に。アメとムチ。手練れの女王さまよろしく、僕はロコロコと転がされていたのだ。

厄介なのは、そのアメが心地よいことなのだよね。困ったことに。だから抜け出せない。

しかし。今日はよくなかった。なにをやらかしたかと言うと、上司が勝手にもってきた仕事を振られて、いつもだったら気持ちをどっかに置いてきていい感じこなせてたのに、「この仕事やる意味あるのでしょうか?前回確認をお願いした時になんにも言わなかったのに今言うのはおかしくないですか?できないのを私に転嫁するのはフェアじゃないですよね?」と(最悪なのは)チームメンバーの前で問いただしてしまったこと。でも、こう書くと、やっさんに非はないように見えるが、実際は正直どっちもどっちで、そもそも仕事を受ける前からそれをいえばいいのに、後出しジャンケンで言うのは多分にこっちが悪い。しかも、そもそも評価する側される側というパワーバランスで大負けしてるのに、こっちには何の得もない。いま冷静に考えれば、誰でもわかる。岡目八目。でも止められなかった。
今日の昼から、やっちまったあとは、後悔後悔後悔後悔。後悔が大好物の奴が、ぬるりとでてきて、また始まってしまった。ドキドキが止まらない。ただの動悸である。

そんな中で風呂で考えた。

こんなドキドキモードを落ち着かせようと、ぬるめのお風呂につかってみた。副交感神経が落ち着くって書いてあったのに、奴のおかげで全く落ち着かない。ギンギンである。そこで堂々巡りとなるような「なぜあんなことをしてしまったのか、なぜなぜ、たらればたられば」と考えしまった。
いかんいかん。ということで、ぬるめの風呂に見切りをつけて追い焚きして、違う思考してみようとおもった。
それは、「評価されたいという気持ちを、変えようと思うんじゃなく、真正面から慰めてあげたらどうなるんだろう」、という思考だった。お、今までとは違うアプローチ。鬱の人に頑張れと言ってはいけない、とどっかの本で書いてあった。だから、今日ぐらいは慰めてあげよう、自分。そんな思考から少し面白い現象が起きたので、それを今日はネタにしたい(フリが長い!)。

最初に考えたのは、人から褒められる時、なんて言ってもらえれば嬉しいかな、ということ。「かっこいいですね」とか見た目褒められても、グッとこない(嬉しいけど)。「優しいですね」とか、なんか馬鹿にされてる気分(嬉しいけど)。「センスいいですね」、お、結構嬉しい。「こんなことなかなか出来ないのに、サラッと出来ちゃうなんて、『さすがですねー』」、お、これだ。友達と「最近褒められてないんだよねー、これっくらいの年代だと出来て当たり前だって思われるの癪だよね、ほめられたいよねー、さすがって」と話してたの思い出した。
『よっ、さすが!』
いいねいいね。人によっては馬鹿にされてると感じると思うが、やっさんはおかげさまでそこは単純なようだ。おー、さすがっていわれてーよー!
じゃあどうしよっかな、と考えた。人に無理やり言わせるわけにもいかないし。
そこで熱目になってきた湯船に浸かって、自分に聴こえるように「さすが」と言ってみた。完全なマッチポンプ。いや、今の時代、エコでサステナブルだといえよう。自分に向けて自分を声を出して褒める。「さすが!」。
俺は馬鹿なのかもしれない、という左脳くんの突っ込みを華麗にスルーし、続けてみる。あれ、意外と悪くない、決して悪くない。むしろ良い。続けてみる。「さすが!」「よっ、さすがっ!」うん、10回以上言うと虚しさが襲ってくる。だめだな。
じゃあ、どうもっと良くできるかなーと考えてみる。じゃあサンプラーみたいに人の声を録音して、クイズの早押しボタンみたいに、「さすがボタン」を作ったらどうだろ。自分だけでなく、相手のいいところ見つけたときも。「さすが」ボタンを押す。「ピコーん」じゃなくて「さすが」って音声が鳴る。物理的なボタン。在宅勤務で机のスペースの奪い合いなのに、あえて目に見えて場所を取り、邪魔になる、だけど、故に意識的に良いところを探したくなる装置。ピコーんだけでも快感なんだから、このUIを「さすが」に置き換えたらニーズあるんじゃない!?的に、どんどん膨らむ妄想。

こういうの。

そこでハタと気付いたこと。

こんなふうに熱い湯船で考えてると、ふと感じた。あれ、落ち込んでる気持ちが抑えられて、おもしろアイディアにワクワクしてる自分がいた。クラファンして十万ぐらい集まれば作れちゃうかも、よしやってみようかな、とか。
左脳くんが聞いたら「やれやれ」と村上春樹ばりに呆れるだろうこんなアイデアでも、なんかワクワクしてしまった。そして、そのワクワクがドスーンと落ち込んだ気持ちを消してしまった。
すごく未来志向になった。未来志向だと、過去のことが、超絶どうでも良くなった。だって、面白い未来があるから、そっちに目が向くのは当然だ。でも、意外とこうやって「評価されたい」という過去の呪縛から離れた思考をすること自体が難しいのになんなくできた。これは、「さすが」よりも大発見だ。

おもしろアイデアを考える、という未来志向はミドルエイジクライシス対策にいいかも。

きょうは、そんなことを気付けた1日だった。皆さんも是非やってみてください。やっさんは、明日からおもしろアイデアノートをつけて、どんどん未来志向になってみようと思ってます!

それでは、ごきげんよう!

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