展覧会に関わるにあたって整理しておくこと
当初は社会によるある程度の制御を期待したが、蓋をあけてみるとほとんど機能していない為、個人で判断せざるを得ない状況にある。
COVID-19前から頂いている話を含めて展覧会の話を頂いている。
東地雄一郎はアーティストとして展覧会に参加していいのか?もし参加するならどういうカタチがいいのかを思考してきた。
ここにきて一度整理の為のまとめてみる。
0、はじめに
COVID-19の影響で2020年3月以降の活動は、当初の計画から大きく変更せざる得なくなった。これは自分だけの問題でなく、全世界における問題である。アーティストのおいては、制作はできるが展覧会ができない・発表ができない等の影響と自粛による移動制限によって活動がミニマムになっていった。
2020年の6月末時点で、自治体発表の感染者数が一度さがり始めたのをきっかけに、政府による社会的な制限はしだいに解除されはじめ、美術館やギャラリーの活動も再開されたが、7月に入って感染者数は再び増加に転じている。
1、リスクとは?~なんのための自粛なのか~
もし、健康リスク高い病気が感染した場合、自覚できない、すぐに伝播するさらに、ワクチンや治療薬でコントロールできない。
・健康上のリスクで、生存に関わる事態である。
・感染してもすぐにわからないこと(みえない)
・発病してから症状の悪化がはやいこと
・本人と無自覚に伝播すること
・ワクチンや治療薬がない(免疫なくコントロールできない)
2、我々は再開というオプションをもっているのか?
普通に考えれば、マスクをしていようがしてなかろうが、安全は保障できないという判断になると思われる。
しかし、ずっと潔癖症(不純物の拒否)のままだと、いつまで活動が再開できない。自粛期間中にも、これまで違うカタチの再開を調査してきた。
結果としてわかったのは、展覧会の これまでの形式をそのまま適用することができない だと思われる。新しい生活様式 という言葉にもあるように あたらしい様式 の提案が必要である。
1、これまでの形式 を条件付きで実施する
2、これまでの概念とは違うあたらしい標準を持ち込むこと
再開した美術館やギャラリーの状況を考えるとほとんど 1、これまでの形式 を条件付きで実施する のパターンだと思われる。
3、もし再開できる場合、その条件とは?
現象的にしか状況がわかっていない中で、その条件(要件)はどうやって決めていくのか、根拠を掘り下げていくと不明なことがたくさんでてくる。
実態としては、ある程度の対策でもって、対策をはみ出るリスクを覚悟 だと推測できる。その場合、リスクとは命を失うであること を忘れてはならない。
1、感染すること自体に課題あり
ーーーーーーーーーーーーー私は感染しない---------------
2、感染していても、自分がマスクをすればよい
3、感染していても、自分が発病しなければよい
--------------私は発病しない-----------------
4、発病していても、自分が死ななければよい
--------------私は死なない--------------------
ここまで考えるのは、あくまでも自分個人へのリスクの考え方である。
各リスクの間には、感染しない、発病しない、死なないの壁がある。
ここでの気づきは、この条件に 絶対 をつけていいないところである。
以下の例に基づいてケーススタディを実施する
例 95%感染を防げるが、5%で感染可能性ありの場合
考え方1=未然防止
条件なしでは、可能性5%で感染するが、対策をすることで感染しないことを約束する。
考え方2=事後対策
可能性5%で感染するが、感染した場合、発病・死亡しないことを約束する。
4、だれが判断するのか?
この時点でリスク回避できるかは、論理的根拠不明(わかっていない)であり、もし判断できるしたら、個人感情と同調効果による、社会的に信用できるだれかの言説 という社会的根拠でしかない。
その社会的根拠になりえるところから聞こえてくるのは、個人での判断 という言葉であり、だれも判断できない か (仮に判断できたところで)個人的な感情でしかない が正直なところである。
5、課題は、自分以外の他人との接触方法
これまでのケーススタディーで抜けている観点がある。
可能性5%で感染するが、感染した場合、他人に流出しないことを約束する である。自分以外の他人への影響である。自粛時点の考え方は、他人と接触しないであった。しかし、現実に生活すること 他人との接触0 が難しい為、不要不急の場合を除く という条件が追加された。
では、自粛が溶けた時点(2020年7月)で上記が変わるのか??
おそらく、、変わらないとおもわれる。
6、再開するための条件のまとめ
感染の原因となる極力他人との物理的な接触を避けること。
<and条件で成立>
・感染リスクを下げることができる
・感染いた後のリスクを下げるができる
・不要不急の場合を除く
また、上記を踏まえてアーティストとしてできることも考えると、
・アーティストにおける制作(他人の接触を伴わない)
・他人との接触が発生しな発表方法
ここで、他人と接触が発生しない の定義は、だれもいない空間で1人の場合を除くすべて である。ここで判断できないのが不要不急かどうかである。だれもが判断できない状況のいま、個人的な感情のもとにアーティストが活躍できる可能性があるのでは? とも考えることができる。
7、展覧会をする必要あるのか?
従来の展覧会でない発表形式としてオンライン展示なるものが、たくさん散見された時期もあった。しかし、現状展覧会を開催している状況をみるに、アーティスト個人やその関係者がもっている発表への要求(感情)が満たされなかったと思われる。
もしやる必要がある場合、リスクに見合うだけの理由が必要となる。
今日時点では、発表する理由をつくること=展覧会をつくること ではないか?と考えている。もしくは、リスクを負わない方法の提案があれば、それに越したことはない。
逆もしかりで、展覧会をみにいく視点で考えると、、、
見に行くこと自体もリスクを負うことである。そこまでわざわざ見に行く理由を考える必要がある。リスクを負ってまでする必要がある経験や体験とは?
8、展覧会の在り方の変化ではないか?
これまで:だれにでも開かれたもの
これから:ある特定条件を満たす人のみに提示されるもの
つまり、無条件に作品をみることができなくなったといえる。
美術の歴史を考えても、権力者のものが大衆化をのもと、みんながアクセスできるもの になっていった。
これからとは書いたが、これまでの再解釈ともいえるかもしれない。全体主義的なみんなという架空を考えるよりは、特定の誰か を想定したものになっていくのではないか?
エンジニアとして考えると、工業製品では当たり前になっているこうした考え方が、美術になると消えてしまっていたのはなぜか? と思ってしまう。
この続きは、条件を明らかにして展覧会に参加してみてから考えようとおもう。
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