![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/98917302/rectangle_large_type_2_c7f19f4af6e35f60159e984e83433e97.jpg?width=1200)
#36 障がいを受容する3
昨日は、長男の出生時と産後の気持ちについて書きました。手術まで頑張れば、と思いながら、ひたすら毎日を走り抜けていた記憶があります。
手術までの日々。通院時には、お楽しみを用意して
当時、通っていた口唇口蓋裂の実績で有名な昭和大学病院は、品川区旗の台にあり(現在は口唇口蓋裂外来センターは神奈川県に移りました)、電車3本乗り継いで行っていました。ラッシュの時間帯には、父に車を出してもらったり、時々元夫にも付き添ってもららいながら通いました。
頻回の授乳とおむつ替えも必要でしたし、大きい病院は、予約していっても待ち時間が長いのです。小児科の中に口唇口蓋裂の専用のチームがあって、
①形成外科
②小児科
③耳鼻科 (口唇口蓋裂の子は、中耳炎を併発することが多いため)
④言語療法室
⑤小児歯科(小児歯科と小児矯正歯科)
が密接にやりとりしながら治療を進めていきます。通院の日には、①~④をすべて受診していた記憶があります。
退院直後、大学病院の初診のときは大変で、今でも覚えています。
何が大変かというと、終わる時間が読めないのです。この後、色んな病院を受診することになりましたが、初診のときは、予約ではないことが多く、予約患者の合間の時間に呼ばれるまで待ちます。科が複数にまたがるときは、それぞれの科で待たされます。あと何番目かは、受付で聞けば教えてもらえますが、忙しそうな様子に聞きにくかったです。受診の順番が来ていなくても、書類を返されたり計測があったり、新たに検査が必要になったりと、ちょくちょく呼ばれるので、いつ呼ばれるか気を張っていないといけませんでした。いつ呼ばれるか分からないから、外出していいのかも分かりません。最初だったので、全体の受診の流れも見通せていませんでした。待合室には飲食禁止と書かれていて、飲まず食わずで待っていて、フラフラになりました。
初診のとき、8:30からスタートして、かかっても午前中いっぱいで終わるだろうと思っていたら、確かすべて受診が終わったら15時近かったと記憶しています。
通院の大変さをまとめると、
・初診は予約診療ではない→予約よりも待ち時間が長い
・科をたくさん受診することがある(検査も必要に応じて色々入る)
・順番が分からない、あとどれくらい待てばいいか分からない
・不意に呼ばれるときが多々ある(大きい病院であればあるほど多い)
それに対する工夫は、
・待つことをあらかじめ覚悟して、準備をして臨む
・あとどれくらい待つかは、受付に聞けば教えてくれる
・看護師さんや受付に声をかけて、断って外出してもかまわない(これは案外知らないことが多いのでは。足早で忙しそうなので、思い切って誰でも声をかけてみたらいいです)
以降、それが学びになって、紹介されて行く初めての病院のときには、もしかしたらお昼をまたぐかもしれない、と、お昼ごはんや飲み物をこっそり持参し、オムツや授乳準備も多めに、子どもが少し大きくなってからは、おやつや暇つぶしのためのおもちゃも持っていくようになりました。
通院時には、小さなことでも楽しみを用意して
通院には半日、下手したら丸1日潰れます。くたくたになって、下手すると翌日まで疲れが残ってヘトヘトになってしまうことも。
そんなときに、何とか自分自身を保つために工夫していたのが、病院と「お楽しみ」をセットにすることです。
・院内の美味しいコーヒーマシンを見つける。
・院内の居心地よく待てるソファを見つける(待ち時間が長いときに)
・病院の近くや通り道で、美味しいテイクアウトのお店、ベビーカーが入れてひと休みできる居心地の良いカフェやごはん屋さん
・さっと寄れる、心が満たされるお買い物スポット(エキナカなど乗り換えの時に寄れそうなところなど)
・病院から駅までの、いい散歩道を見つける。
などなど。どうしても行かなくてはいけない通院なら、自分のモチベーションを上げられるよう、自分で整えるのです。
もちろん、長男を診てくれてるお医者さんや看護師さん、言語聴覚士の先生からかけてもらった言葉や、いただいた視点でずいぶん救われることもありました。
長男の手術
そして、口唇口蓋裂の、離れている上唇の左右をくっつける手術が長男生後5か月のときにありました。普通は3か月のときに手術をするのですが、手術のスケジュールが込み合っていたことと、長男は体が小さかったので体力がついたころにということで、5か月のときに行いました。手術の前の日、言葉で何度も息子に説明すると、5か月であってもちゃんと理解している顔をしていました。
この手術もなかなか大変なものでした。10日間の入院は、完全看護で、保護者が付き添います。一緒に寝泊まりするのですが、私は6日くらいしてヘトヘトになり、自分の体調もきつくなってしまったのを覚えています。
子どもにも付き添ってやれない、と自分を情けなく感じながら、看護師さんに「体調が悪くなってきてしまって無理です、看病お願いできますか」と正直に言って、後半は夜間お願いして、1日おきだったか毎日だったか、通ったのを覚えています。
息子にしてみれば、寂しい思い、痛い思い、苦しい思いをしている10日間。家に帰ってから安心できるように、しっかり生活できるように備えておきたかったのもありました。
この手術さえ終わったら、ぱっと見、普通の子に見える。
手術が終わったら、もしかしたら母乳を直接飲めるかもしれない。
色んな希望を胸に、手術を終えました。
無事に終えて、あんな小さい赤ちゃんの唇をキレイにくっつけてくださった先生、さすがでした。
手術の後は、息子が手で口を触らないように、抑制筒を両腕につけて、動きを制限します。傷跡は、紫外線に当たると色が濃くなりやすくなるので、術後すぐ~退院後3か月くらい、マイクロポアテープという茶色いテープを貼っていました。
退院後~断乳、1歳ごろまで
退院後、息子は順調に回復していきました。腫れていた傷もすっかり落ち着いて、すっかり元気ももどりました。
直接おっぱいを吸うことができるかも、と夢に見ていましたが、唇が閉じたからと言って、今まで使ったことがない唇の筋肉や舌の動き。すぐに吸えるようになるわけではありませんでした。それに言葉が通じない赤ちゃん。
しばらく試してみたものの、直母はあきらめざるを得なかったです。搾乳する生活にも疲れてしまい、断乳することにしました。断乳は、通っていた桶谷式の相談室にお世話になりました。3日後、1週間後、1か月後、、、と残った母乳を絞ります。
息子はすくすく大きくなり、私は自然な子育てをしたいと思うようになり、代々木公園でやっている自主保育のグループに通うようになりました。
1歳ごろになると、私は長男を連れて外出するようになりました。今考えるとADHDが色濃かったのでしょう、いつもどこでも、猛スピードで走っていた長男。それでも、東京駅のカフェ、パン屋さん、お茶の水のクアアイナ。どこにでも連れていっていました。最初の子育てだったので、長男しか知らないということもあり、そんなものだと思っていました。
旅行もしました。通訳の仕事をいただいて、長男を同行して真鶴や佐賀、鹿児島に行ったりもしました。
1歳児検診のとき、頭が小さいと言われて、憤慨した記憶もあります。「普通なのになんでそんなこと言われないといけないの」というような心持でした。
明日は、集団保育に入って、他の子と違うと指摘されたときのこと、その後の話を書いてみたいと思います。
読んでくださってありがとうございました。
いいなと思ったら、記事をお友達やSNSでシェアしていただいたり、いいねボタン(ハートのマーク)を押していただけたら励みになります^^
それではまた明日!