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おふくろの味

皆さんにとって、おふくろの味って何でしょうか?

肉じゃが?
カレー?
はたまた豚汁やお味噌汁?

そのおうちの定番の味、っていうのが、いわゆるおふくろの味のことだと思います。

それと、もう一つ。私は、お母さんが作る、その日の気候や体の状態などを考えた「さじ加減」もおふくろの味だと思ってます。

よそ行きの味ではなくて、家族のことを純粋に考えて愛情を込めて作ったごはんは、決して華やかではないかもしれないけど、みっちり健康を編んでくれる食事なのではないでしょうか。

たくさん運動した日には、塩分濃いめだったりタンパク質多め。
夏は、薄味やシンプルな味だったり、見た目にも色鮮やかな食卓。
秋冬になってくると、グンと火を入れる時間が長い料理になり、塩分も強くなると思います。

考えてそうすることもあるでしょうけれど、だんだん料理をする年数を重ねてくると、無意識に加減をするようになるのではないでしょうか。

料理の本を見ていると「適量」とか「少々」っていうのがありますよね。塩少々は、親指、人差し指、中指の3本でつまんだ量ですが、そのつまむ量が、気分によって異なるわけです。
その「気分」というのが、上に書いたように、気候や体調によって、無意識に多くなったり少なくなったりするのではないかと思うのです。

料理上手なおばちゃんやおばあちゃん(おじちゃんでもいいですが)に、「その料理どうやって作るの?」と聞くと、作り方は教えてもらうものの、量が「適当」と返ってきたりします。その「適当」は、いい塩梅であって、どうでもいいという意味ではないんですよね。

その「適当」がどうやって出来上がってくるのかと言えば、基礎と経験なのではないかと思います。
私も、新婚当初、全然料理ができませんでした。そのときには、料理の本にとにかく目を通し、美味しそうだと思ったものは、片っ端から作ってみていました。料理をし始めた頃、私はやみくもに、ただただレシピをなぞって作っていたのですが、いつの間にか、量を見なくても、ざっと読んで頭に入れる→使う材料を並べる→調味料の量は適当で、自分なりに作る、と作れるようになっていきました。

一度、そのレシピ通りに作ってみて味を知ったら、そのあとリピートするときには量を見ずに作ったりします。例えば、ワカモレを始めて作ったときには、レシピをくまなく見て、ひとつひとつ手順を踏んで作っていましたが、2回目以降、外さなければいいところだけ押さえ、例えばアボカドに対する塩の量だけ大きく違わなければ、玉ねぎを多少少なかったとしても、パクチーが多少多くても、味はブレないわけです。なので、何となくこの量、というのが分かれば、2回目以降、適当に作ることは多いです。

また、基本の作り方を覚えてしまったら、似たものはレシピを見ずに作る、といった具合です。例えば、きんぴらは、おおよそ、炒める→油が回ったら水を差して調味料を入れる→クツクツ水けを飛ばす、という手順が分かっていたら、きんぴらという名がつくものは、材料だけしか見ていなかったりします。
ふむふむ、レンコンとごぼうね。それにひじき入れてもいいわけね。
なるほど、セロリとにんじんのきんぴらね。
ゆでた春雨を入れてもおいしいし、そうするときんぴらが春雨の中身になったりする。
お肉を召し上がる方は、そこにお肉が入ってもいい。牛肉の切り落としだったり、鶏ひき肉だったりで、全然違う料理ができます。ツナが入って、ツナといんげんのきんぴらとかがあってもいい。
と、ざっとした材料は見るけど、あとは、その時の気分でアレンジします。

しょうゆとみりんで作るのか。
ごま油とオイスターソースの気分なのか。
油を使わず、ウォーターソテーにするのか。
などなど、自分で適当にアレンジ。

それは、一度ちゃんと作れるようになっているという基礎があってこそ。それから、こうアレンジするとこんな味になったな、あんなアレンジでああいう風になったな、という経験がたくさん引き出しにあると、発想がわくようになってくるのです。
レシピ見ながら、何も考えずに作っても、手や舌が覚えているので、とにかく作った数だけ経験になるなと感じています。

そうして、ちゃんと作る、のではなくて、「適当に」感覚で作った味は、その日の無意識が出る「おふくろの味」になるんじゃないかなー、って思ったりしています。

今日は、まとまりがないですが、思ったことを徒然なるままに書いてみました。

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