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成長はらせん階段

今、週に5日朝6時からヨガのティーチングレッスンを受けています。
全米ヨガアライアンスが出している資格RYT200を取得できる、指導者養成講座です。

今まで、ハタヨガ→アシュタンガヨガに触れてきて、周りの方に共有させてもらう機会を得たりしていましたが、長年停滞していた自分自身のプラクティス。子育て中でスタジオに通うのが難しく、さらに移住してさらに足が遠のき、決まった型になかば飽きを感じ、なんとかしたいなぁと思っていた自分のスキルとマインド。
たまたま知ったオンラインで受講できる朝活ヨガは、今までとは違うスタイル。問い合わせてみたら先生から電話いただき、お話してみて、受講することを即決しました!

話は戻して、講座の中でのティーチングのレッスン。RYTとは指導者養成のための講座なので、教えることを学ぶレッスンです。
そこで、私は、痛切に、自分がいかに表面的だったかを感じています。

話し方に抑揚がない(それがいいときもある)とはこれまでにも言われたことがあったこと、
周囲を観れてるつもりで、全然観れてない(めっちゃやってるつもりなのに!録画見ると、ショックなほどできてない)、
無意識に「型」に寄せてしまう無意識にキレイにまとめようとしがち(詰込み型学習をし、評価を気にして他人軸で生きてきた弊害だなぁ)

というのが、今の私の課題。先生から指摘を受けて、
「なーーーーーるほど!その視点はなかった!!
 そうかぁーーーーー!!!」

と思うときもあれば、

「自分でもその自覚はある!
 やってるけど。分かってるつもりだけど、できないのよ!!」

と、自分に焦れるときもあります。

20代、他人軸で生きてきて自律神経失調症になり、「自分の人生は、自分で生きる!」と決めて、いい子ちゃんは降りたはずだった、あのとき。決断してから、心が思うように、表面だけじゃなく、生きてきたつもりでした。

でもでも、全然できてないじゃん、自分!
と痛烈に気づかされている、今日この頃。

そうしたつもり、卒業したつもりだったのに、自分は全然ダメじゃん。
じゃあどうしたらいい??
って思い続けたここ1週間。そのことを周りにシェアさせてもらったりしていて気づいたことは、自分の課題とは、0か100かみたいにできるかできないかじゃなくて、玉ねぎの薄皮をむくように、もっと深くもっと深く、深めていけるような性質だということ。
成長は螺旋階段のように、同じ地点に戻ったら同じテーマが来る。けれど視点は、前に課題が来た時とは、確実に違っています。

20代のときに、そしてその後何回かやってきて、そのたび意識して深めようとしてきた「表面だけなぞってできたつもりになった自分」という私の課題。
「できてない」と思うと、無力感と哀しさしか感じないけど、あの時からは少し成長した自分、20代のときよりは一歩踏み出せるようになってる今の自分が向き合ってるんだ、と思うと、心が前向きになれます。自分はダメなんだって自己否定するのではなくて、糧にして頑張ろう、って肚をくくれます。

謙虚に自分の課題をとらえて、諦めずに日々コツコツ向き合っていこうと思います。

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