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映画「オッペンハイマー」を観て考えた日本人への原爆投下

 故郷愛媛への帰省から東京に戻り、時間が出来たので話題の映画「オッペンハイマー」を観に行った。オッペンハイマーは「原爆の父」として知られ、米国の原爆開発プロジェクトであるマンハッタン計画を率いた科学者として有名だ。彼自身に関しては昨今、トレンドになっている量子力学を研究する物理学者であったとか、マッカーシー赤狩りの時代に、妻をはじめとする身近な人間が元共産党員であったがために、原子力委員会から事実上の公職追放をされたとか色々と興味深いエピソードはあるが、今回はこれらのことは特段取り上げない。
 
 なぜなら、日本人として原爆について考えるにあたって、それらは取るに足らない些細な情報だからである。巷で批判されている通り、この映画では日本への原爆投下の被害はしっかり描かれていない。しかし、私自身もこれまで知らなかった原爆開発の歴史を知る良いきっかけになったことは確かだ。

 我々日本人にとっての最大の関心ごとは、オッペンハイマーの輝かしい経歴でもなければ、戦後の悲劇的な彼の運命でもない。それはひとえに、米国における原爆開発がドイツとの開発競争として始まったにもかかわらず、なぜ最終的に日本の民間人の頭の上に落ちることになったのかということである。

 映画の中では、1945年4月末にヒトラーが自殺して原爆開発の必要性がなくなったと誰もが議論している場で、オッペンハイマーが、日本に使って原爆の威力を世界に見せつければ核開発の抑止につながり、平和が訪れると発言する。日本人の犠牲の上に平和が訪れるという話は、日本人として到底納得できない理屈であるし、事実、平和は訪れていない。

 このような場合、歴史を丹念に追っていくことが必要だ。1939年8月に原爆開発をルーズベルト大統領に求める書簡にアインシュタインが署名し、ドイツの原爆開発を示唆した。当然、当時は原爆の対象はドイツを想定していた。しかし、1942年9月に米国軍事政策委員会が発足した時にはドイツに原爆開発計画がないことが判明していた。だが、原爆開発は続行される。1943年5月にはトラック島に集結中の日本艦隊を原爆投下目標として定める。この時点では、当然のことながら原爆投下目標はあくまで対軍隊であって、対民間人という発想は微塵もなかった。

 しかし、1944年2月に米軍機動部隊がトラック島の日本艦隊を壊滅すると、同年9月にルーズベルトとチャーチルがNYのハイドパークで秘密会談をし、ハイドパーク覚書を結ぶ。そこで話された内容は、原爆が完成した暁には熟慮の上だが、日本人に使用することができるだろう。しかも、降伏するまで繰り返し、ということであった。この覚書は現在、広島の平和記念資料館に現存しているそうだ。

 このように歴史を丁寧に紐解いていくと米国が原爆開発に踏み切った当初は、投下目標はドイツだったが、それが日本の軍事施設となり、最終的には日本人へと変遷していったことが良く分かる。しかも、原爆投下の理由は一般的に言われている、日本本土上陸作戦を決行することによる米国兵の犠牲を避けるためではないのだ。

 広島平和記念資料館に展示されている資料によると、原爆を日本に投下した理由は20億ドルかけた開発費の国内への正当化と戦後のソ連勢力拡大の防止であり、米国兵の犠牲を避けるということは全く触れられていない。こういった米国の独善的な理屈の上に広島、長崎で無辜の日本人が犠牲となったのである。

 原爆開発の経緯・歴史を把握したうえで、世界で唯一の被爆国の国民としてどう思い、どう考え、どう行動していくかが二度と同じことを繰り返させない為に重要であると思う。そのためには正しい歴史を知り、今、世界で何が行われようとしているかを知ることだ。日本人の頭上に3度目の原爆が準備されていないか、シビアに物事を見ていく姿勢が問われる。

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