2024.10.01「ロッカールームに眠る僕の知らない戦争」なるせゆうせい
おはようございます。昨日、なるせゆうせいさん監督の舞台劇「ロッカールームに眠る僕の知らない戦争」を見たので、少し感想を書きたいと思います。
なるせゆうせいさんは、君トンなどで有名な反グローバリズムという観点から社会問題に切り込む映画を数多く制作して、世に提唱を鳴らしている方です。
9/28に有明で行われたレプリコン、mRNAワクチンに反対するデモにも参加され、これに基づいた映画も制作されると伺っています。
さて、本題の「ロッカールームに眠る僕の知らない戦争」についてですが、これはドストエフスキー原作の「罪と罰」をモチーフに安保闘争時代の学生運動をテーマにした舞台作品です。
色々と考えさせられる作品でしたが、なんといっても安保闘争に参画した学生は、マルクス思想、階級闘争史観にかぶれ、権力・権威を持つ機関・組織は全て悪と決め込んで突っ走っていたということがよく分かる描き方でした。
私自身も片務的な日米安全保障条約、思いやり予算、そしてA級戦犯からアメリカと裏取引をしてCIAエージェントとして政界に復帰した岸信介の存在に憤慨し、安保などというものがあるから日本は独立できないのだと考えていました。しかし、実は安保があるから独立できないのではなく、独立していないから、あるいは敗戦したから日本は安保を強いられたのだと言えます。
安保闘争に参加した学生は、日本の首相は独立国の宰相としてなんでも自由に決められるという甘い考えを持っていたのでしょう。当時も今もアメリカは読売新聞を初めとするマスコミ、東京特捜地検、財務省、国税庁、日米合同委員会を支配し、事実上日本を占領し続けている状況です。(以下ブログもご参照)
当時は戦後まもなく、自衛隊も力が弱い状況だった為、国防に関しては事実上、アメリカに頼らざるを得ない状況だったと思います。
それをいくら、安保撤廃だとわめいても、国内での分断、混乱をもたらすだけで何も生産性はないでしょう。それよりも、かつて片務的であった旧安保条約(米軍の日本防衛義務が明記されず、日本国内で起きた内乱を米軍が鎮圧できることになっていた)をなんとか対等なものに近づけようとした岸信介の試みのほうがより現実的だったと私は考えます。
当時の学生運動は、実は日米同盟の強化を恐れたソ連が妨害工作をしたことによって起こった部分が大きく、デモの参加者の大半はソ連の工作に踊らされていたに過ぎません。
「正義を貫くことで世界を変えたい」という思いは実は、工作員によって利用されやすい考え方だと言えるでしょう。では、どうすればいいのか?この舞台で主人公であるタモツは、思いを寄せていた純子にこう言います。
「純子さん、世界を変えようと言ってくれましたよね。僕だけの話で言えば、世界は随分変わりました。僕の世界は純子さんだけになったんです。世界が驚くほど小さくなった。だけどそれでもいいと思えたんだ、広がるばかりが世界じゃない。僕は最小の世界の中で、あなたと一緒にいたかっただけなんだ」
この世界を、外部世界を変えることは基本的には出来ないと私は思います。どれほど絶望的な状況であっても、それを受け入れる他ない。しかし、自分の内部の世界を変えていくことはできます。内部の世界が変わることで外部の世界に影響を与えることは十分にあるのだと思います。
絶望的な外部の世界を受け入れつつも、自らが変わっていく。こうすることでしか、私たちは世界を変えることはできないのではないでしょうか。