2024.10.01天皇論-小林よしのりパート3

みなさんおはようございます。本日も小林よしのりさんの天皇論について整理していきたいと思います。先日からこのシリーズが続いていますが、今回が最終回です。

(参考)前回ブログ

さて、今日は天皇の存在が如何に無私の存在であるか、そして、だからこそシラス存在として国民との間に強固な関係が結ばれているのだということを検証していきたいと思います。

まず、天皇には即位拒否や退位の自由はありません。職業選択の自由もありません。婚姻も本人の意志だけでは決められず、皇室会議を経なければなりません。また、天皇には参政権も社会保障も信教の自由も実質的にないのです。つまり、一般の日本国民が保障されている自由の多くが、天皇に対しては制限されているのです。

こうした制限がある中で、外国の国王のように金銀財宝に囲まれて華美な生活をするのではなく、質素ですが文化的水準の高い生活の中で、ひたすら国民の安寧と五穀豊穣のために祈っておられる天皇は、富や権力の象徴では全くなく、無私そのもの、公そのものを体現していると言えると思います。

しかし、ここまで徹底的に公の存在であったからこそ、国民を支配するのではなく、国民と共にあり、国民のために無私の心で祈る存在であったからこそ、国民との対立関係が起こらなかったと言えるでしょう。この天皇が如何に公の存在であり、そのようなお心を持っておられるかというのはこれから紹介するポツダム宣言受諾をめぐる御前会議における昭和天皇のお言葉を見れば良く分かると思います。

1945年8月9日深夜から未明にかけて、ポツダム宣言受諾をめぐる御前会議が開かれましたが、紛糾し結論が出せなくなっていました。そこで、大変異例のことではありましたが、昭和天皇に聖断を仰ぐことになったのです。

「私は外務大臣の意見に同意である。空襲は激化しており、これ以上、国民を塗炭の苦しみに陥れ、文化を破壊し、世界人類の不幸を招くのは私の欲しないところである。私の任務は祖先から受け継いだ日本という国を子孫に伝えることである。今となっては一人でも多くの国民に生き残ってもらって、その人たちに将来再び立ち上がってもらうほか道はない。」

「もちろん忠勇なる軍隊を武装解除し、また昨日まで忠勤を励んでくれたものを戦争犯罪人として処罰するのは情において忍び難いものがある。しかし、今日は忍び難きを忍ばねばならなぬ時と思う。明治天皇の三国干渉の際のお心持を偲び奉り、私は涙をのんでポツダム宣言受諾に賛成する。」

これを述べたとき、昭和天皇は連合国から身の安全を一切保障されておらず、自らも戦争犯罪人として処罰されることもありえたにも拘らず、それについては一切言及しませんでした。以下のブログでも触れましたが、マッカーサーとの会談の際も自分の身はどうなってもいいから、国民を飢えさせないで欲しいと述べられています。

この人の為なら死ねる。イデオロギーや洗脳ではなく、自然な心の奥底から湧き上がる想いが、天皇の下に日本人が団結させる原動力となったのだと私は思います。昭和天皇が、戦後の焼け野原の広島を巡幸されたとき、どん底にある日本人が再び立ち上がるために天皇の前で万歳する動画を見て、涙が自然に溢れてくるのは私だけでしょうか?


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