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足りない自分と葛藤する 愛おしい日々
出身の中高から、同窓会誌への寄稿依頼をいただいた。
大学に入ってから始めた躰道という武道で日本代表になり、ありがたいことに"世界一のチーム"なんていう称号をいただいたことに端を発してのご依頼である。
先輩方がたくさんいらっしゃる中で、何も成し得てない自分が何を書けるのかと思った。日々足りない自分に葛藤しているから。
でも期日はやって来てしまうし、何か書かないといけないので、手始めに思いの丈を素直に綴ってみようと考えた。
振り返ると、10代のときには想像もしなかった世界を今、見ることができていて、それでもなんだかまだ遙か上に道が続いているような気がして登れない自分がもどかしい。贅沢な悩みだとも思う。
10代のときの自分はどんな世界を見ていたか。
小学生までというのは、気づいたら学校に通っていて、気づいたら受験をしていて、自分がやりたいと思っていることは親のやりたいことだったり、"与えられる生き方"だったと思う。
中高の6年間はまさに、親と自分が分離していく時期で、人間関係に悩んだり、部活を頑張ったり、体育祭のリーダーとして仲間をモチベートしたり、受験勉強に燃えたり…
滑落しないように「その辺でいいんじゃない?」と諭す保護者をときに振り切り、「貴女ならできる!」という応援を糧に、より高く登ることが楽しかった。努力する自分を信じること、それが道しるべになるという気づきを得た。
人生の経験値が圧倒的に高くて自分のことを知り過ぎている親から離れて、自分自身で進む道を選んだり、見聞きする出来事を判断するとどうなるのだろうと気になって、半ば家出のような形で北大工学部に入学した。
そこで出会った躰道という武道はすごくおもしろかった。
同期の中で1番になりたい、北大のエースになりたい、地区大会で優勝したい、全国大会で勝ちたい、世界大会に出たい…あの技ができるように…もっと上手く…こんな人になれたら…
登っていくたび、もっともっと…と新しい目標を設定する。その度に足りない自分に涙したり苛立ったりしながら、また一つ階段を登った自分を誇らしく思い、共に歩んだ仲間との絆を確認して幸せになった。
世界大会に出場することはかなり大きな目標で、団体種目3つと個人種目1つ、日本選手団でも最多タイの4つの部門で代表となり、団体展開競技では念願の世界一になることができた。
過去の自分が想像もできないくらいの景色を見ている。
でも、なぜか今も、足りない自分に苛立ち涙することがある。
まだ登りたいという欲求があって、関わる人の心を動かすためにも登らなければと思う自分もいて、
そんなことを思える環境と五体満足な身体があって、贅沢な悩みを持っている。
創立150年をゆうに超える中高の同窓会誌にはたくさんの卒業生が寄書している。これまでの先輩方のように、読んだ方に何かエッセンスを与えられる文章になっているのだろうか。
ただ、このような機会をいただいて、27歳、今の自分を認(したた)める作業をして良かった気もする。
「躰道という武道で世界一になった卒業生がいるらしい」の現在地を一生懸命言葉にしてみると、日々弱い自分と闘い、登ろうとするこの気持ちそのものが肯定された気分になった。
一旦、思いの丈を綴ってみる。
これによって、2ヶ月全く筆が進まなかった原稿を、恩師の手助けもありなんとか形にして提出することができた。
まず書き始めることの大切さたるや。
そして、文章を書くということもある程度訓練をしていないと上達しないと感じた。
次の依頼に備えているようで恥ずかしいが、今までアカウントはあるものの発信していなかったnote、更新しようと思うきっかけとなった。
数学や理科が好きなド理系ではあるものの、実は言葉とか、日本語というものは好きだなと思う。日記とはまた違う、"ある程度人の目に触れることを想定した文"を書くことをしてみるなどしている。