アルル・ナジャ的軸理論

お嫁たんベロベロとかふざけたコンセプトを掲げておきながらシェゾとはまったく関係のない話始めたぞこいつと思う人間もいるかもしれないが、このタイトルに行き着くにはプロセスが存在する。

シェゾという男の存在については私の敬愛する東京魔導物語リゾートことるちちゃんが確信に迫るnoteを既に記している。彼女の理論はいわゆるシェゾキチと呼ばれる一群にパンを生み出す革命的な論であり、我こそシェゾキチと思う方は私のフォローから是非一度飛んでいただきたい。それほど素晴らしい存在究明が行われた今私がすべきこととしては彼の周囲の存在から彼の実体を切り崩していくことだ。すぐに例を挙げるのが悪い癖である私から言わせてもらえば将棋崩し、あるいは彫刻のようなものだと言わせて頂きたい。


本題に戻るが、アルル・ナジャという女は恐らくシェゾを観察するにおいて切り離せない事象のひとつであり、彼女本体だけでもその世界観に絶大な影響を与えていることは自明の理である。この絶大な影響力を誇る彼女を一事象として語る人間として「アルルたんは世界の象徴ぉ~僕の女神ぃ~///」という人物は恐らく今回の議題にはふさわしくない。そこで普段アルルという人間について全く触れようとしてこなかった私が何の興奮も得られないのに自分の尻をたたきながらこの記事をしたためる動機にいたったわけである。誰とも議論を交わしてこなかった第一印象のみで構成される主観的な文章になること必須なので、すでに独特の世界観をお持ちの皆さんはここでふるいにかけておくべきだろう。お帰りください。



こういう場ではいきなりガチな部分に切り込むというセオリーに則り、アルルはシェゾにとってどういう存在かという部分を考えていきたいと思う。勇気を振り絞って書くが、アルルという女はシェゾ主観であればシェゾの彼女になりうる存在である。かといって「シェアルは公式」というワードは安易に発してはいけないのがこのジャンルの怖いところであり、客観的視点でみるとアルルはシェゾの彼女ではない。あくまでシェゾの中で彼女という地位に上り詰める可能性が示されているという話に過ぎない。

アルルから見てシェゾはどうかというと、アルルにとってのシェゾは彼女の博愛主義を示すための一個体に過ぎないというのが私の印象である。彼女はどこまでも博愛主義でありその証拠として彼女の周りには人間(怪力)、魔王、人外、闇の魔導師、光の勇者と属性や種族職域を越えた存在が集結し、彼女に矢印を向けている。そんな彼女にとってシェゾは「闇の魔導師」というひとつの存在に過ぎないのであり、少々言動が愉快であるという部分を含めてアルルは素直に楽しんで彼と接していると思う。アルルが実際どう思っているかは補完する他ないが、そこに恋愛感情というものはあってもなくても問題ないということから、すなわち論外であるという結論に仮定できる。

つまりアルルからしたらシェゾはいてもいなくても問題のない存在なのである。

シェゾはどうか、シェゾからすればアルルは「魔力を奪うため追いかける」という生き甲斐を彼に与える存在である。勝負しようとも補整により生き延びることができるアルルはいたちごっこという形で彼の人生の歯車を回す。作中における彼のアイデンティティはアルルが構成してきたようなものである。つまりシェゾにとってアルルは彼の現在の生き様そのものであり、それほどの影響力があれば彼女へと昇格することも可能なはずだが、それはそれで彼の生き甲斐を奪うことになる。それは何を意味するか。

闇の魔導師としてのアイデンティティを失った彼にアルルは闇の魔導師としての扱いをしなくなり、アルルの中での彼の存在はただの一個人に降格するのだ。

天秤のような関係でシェゾとアルルは繋がっているのであり、それを崩すようなことはこれから先、公式からは恐らくないだろう。安心と落胆の葛藤で頭を抱え続けるのが我々の正しい道である。なんという茨の道・・・。



ここでアルルの話は一度終わりを迎える。プリンプにきたことで彼の環境には変化が生じ始めている。つまり彼に選択肢が与えられようとしているのだ。アルルが地軸だった彼の人生に軸の変更という選択肢が与えられようとしている。一部の人間には受け入れられがたいともっぱらのお菓子作りという趣味や、可愛いもの好き、他の強い魔導師たちとの出会いが新たな軸になる。つまりぷよぷよシェゾという新しい彼の人生が始まるのだ。

彼がどの軸を選ぶか、そして選ばれなかった軸たちとどのような化学反応を起こすのか。それは我々の選択肢でもあり、筆の数だけシェゾが存在する。シェゾの数が増えれば増えるだけ幸せという理論を展開している私としては、バンバン筆と頭を使ってぷよ魔導という茨の道で全身を痛めつけていくことを推奨している。

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