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セクハラとパワハラがふつうにあった頃。


※※今回はちょい、長文になってしまいました※※🐣

長文に飽きないよう、今日の一曲、用意しました♬
くじら feat.yama 『ねむるまち』を聴きながら、どうぞ。


年齢を重ねれば重ねるほど、1年が早く経つなぁと感じるようになるけれど、それだけじゃない。最近本当に、昔よりも時間の進み方、というか、物事の移り変わりの速さにびっくりする。
10年ひと昔、と良く言いますが、今は2~3年も経つとひと昔前になってしまうような気がしてる。

私は高校を卒業して進学せずにすぐ、就職した。
t芝さんというおおきな企業のグループ会社のひとつだったけれど、入社式に並んだ同期の社員は500人ほどもいた。
はじっこに並んでいる同期の社員が霞んでよく、見えなかったくらいだ。
今考えるとどうしてそんな大企業に就職できたのかは、自分でも良くわからない。良くわからなかったこそ、ありがたみも感じていなかったから、1年半ほどで辞めてしまった。
女子社員は電話をとったり、お茶くみをして、ニコニコしていればよい、という雰囲気に耐え切れなかったといえば聞こえはいいが、私はどうしてもインテリアデザインの仕事がしたくて、その世界をあきらめきれず、t芝さんをやめてからは、デザインの会社を転々とすることになった。

次に入った会社は社員5-6人ほどの、渋谷にある小さな有限会社で、店舗の設計、施工をしている会社だった。都心にあるお洒落なカフェバーやら、カラオケ、飲食店等を手掛けていた。当時、面接に来た人数は何十人もいたらしく、中には桑沢デザイン研究所出身の人もいたのに、なぜ自分だけが採用されたのか。後から社長にきいたところ、十代だったのが私だけだったという。若さというのは武器になる、ということを知った。社長が28歳、それ以外の男性社員もみな、20代前半だった。
社長、イケメンだったなぁ。

入っていきなり設計やらデザインやらをやらせてもらえるはずがなく、社長から「まず、現場からな」と言われ、いきなり現場監督をやることになった。
大きな建築の現場と違って、まず、困るのが、トイレが現場にないということ。
店舗の施工はまず、中身をスケルトン(空っぽ)にして、トイレや排水の管を最初に設置する。なぜかというと床からにょきっと生えた一本の管がその現場の「トイレ」になるからだ。
管に漏斗(ろうと)を差し込んで「はい、トイレの出来上がり」である。
男しかいない職場、という前提だから、うら若き女子が働けるような職場ではとうてい、なかった。昔は今と違ってコンビニでトイレを貸してくれるところはなかったから、トイレは公園のトイレに行くしかなかった。汚くて、臭くて、紙もなかった。
作業着に着替えるのも汚い公衆トイレの中だった。

現場監督なんて、名ばかり。
要するに、すべての職人の使いっぱだった。
あらゆる職人の手元(てもと)をやらされた。
だから、私は内装工事の仕事はひととおり、なんでもできるようになった。塗装、左官、電気工事、クロス(壁紙)貼り、軽天(店舗の天井裏の鉄の骨組み)、大工、溶接、何でもやらされたけど、とび職人の真似だけは出来なかったなぁ。
10時と3時に必ずお茶を買いに行く。職人全員の飲み物の好みを覚える。
大工さんは「お~い、お茶」か「ポカリスエット」が好き。電気屋さんと左官屋さんは「ポッカの顔缶」「ダイドーコーヒー」が好き、とかね。
あとはとにかく現場の掃除、掃除、掃除、廃材やごみをひたすら集める。怪我も沢山、沢山したな。
一番優しくて、一番怖いのは大工さん。
色々教えてくれたけど、怒ると口より先にげんのう(トンカチ)が飛んできた。溶接の光をじっと見てはいけないことも知らず、裸眼で溶接をやって、目から涙がとまらくなったり、重い石膏ボートを足の指に落として、大けがをしたりした。現場で火事を起こしたこともあったし、土間のコンクリ打ちを数センチ間違えて(タイルの厚みを計算しなかった)徹夜で土間を斫ったり(はつったり)、藁をまぜた土壁を突貫工事でやったらうまくくっつかずに、お店のオープン前日に打ち合わせ中、目の前に土壁がばったん!!と全部倒れてしまったこともあった。

朝から晩まで、ずっと現場にはりつきっぱなし、髪の毛と鼻の穴はほこりで真っ黒。人間らしい生活はまるで送れなかった。
会社の社長や同僚には助けを求められなかった。私以上に厳しい現場を受け持って、私以上にボロボロになって働いていたのを知っていたからだ。
私一人でなんとかしないと、私ひとりで現場を回さないと。

男でも、一年持たないよ、と言われていた。
男ばっかりのむさ苦しい現場にうら若き19歳の女子が飛びこめば、どうなるか、今ならわかる。でも、あの頃の私にはまったく予想できなかった。

強烈なほどのセクハラの嵐にあうのだ。

現場で作業中、いきなり胸をもまれたり、階段を上っていると、後ろからいきなりお尻を鷲掴みにされる。「キャーッ」なんて声を出そうものなら、「うるせぇっ静かにしやがれ!」と逆に怒られてしまうのだ(;^_^A
今じゃ、考えられないですよね・・・。
でも、現場監督の私は現場をうまく回していくために、我慢するしかなかった。
そのうち私は、そんなふうに下心丸見えのおじさんたちを利用して、いかに現場を早く終わらせるか、潤滑に進めるか考え始める。
電気屋さんは現場の最初から入り、わりとずっと現場に長くはりついているから、現場監督並みに色々なことを知っている。
何も知らなった私は、職人のおじさんたちを利用した。本来の工事以外のあらゆる仕事もすべてやらしてしまうのだ、現場監督がやるべき仕事も。

もちろん、おじさんは見返りを忘れない

おじさんは仕事終わりに一緒に呑みに行くことを強要する。私は付き合う。呑んでいるあいだ、ずっと手をにぎにぎ、さわさわしてくる。我慢我慢。終電1時間前を見計らってとにかく、酒を呑ませる。呑ますだけ呑ませて、へべれけになったおじさんを、タクシーを素早く呼んで無理やりタクシーに突っ込む。私はそこからダッシュで駅へ、終電ギリギリで電車に飛び乗り、家路へと着く。もちろん付き合っていた私もへべれけ酩酊状態、何度終電の中で吐いたか、わからない。
毎日これの、繰り返し。でもこの作戦をしないと、おじさんたちは隙あらば、私をホテルへ連れ込もうとするのである。

私は、不思議で仕方がなかった。
おじさんてさ、なんでこんなにエロい人ばっかりなんだろう。
おじさんて、やっぱり、若い女が好きなんだなぁ。
その頃の私は、おじさんなんて、若ければ、誰だっていいんだろうな、なんてことをぼんやりと考えていた。
でも、セクハラは強烈だったけど、みんな優しかった。
なんにも知らない、なんにもできないひよっこの女に、いちからひとつひとつ全部、丁寧に根気よく、教えてくれた。
そう、今思えば、みんないい人だったな。

強烈なセクハラさえ、なければ、ね。



(追記:今はオバサンになってしまったので、セクハラを受けられません)



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あの頃、デザイナーのお洒落な椅子に憧れていた。
憧れるだけで、とても買えない、ていうか、置けるようなお洒落な家にそもそも住んでない。
好きな椅子のひとつ、ル・コルビジェの椅子


おじさん、おじさん、連呼していたら、
ちちゃん(眉村ちあき)の「おじさん」て曲を聴きたくなってしてしまいました。どうか、最後にもう一曲だけ、お付き合いをm(_ _"m)





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