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2013年の忘れ物─Jリーグチップスの思い出 2013
現在、2019年12月31日。もうすぐ歓喜の年も終わる。15年ぶりの優勝という大きな成果は、エリク時代からの5年計画で達成されたというのは、多くの方が語っており、今更自分が付け加えることはない。エリクが3年かけて耕したというのは、結果的にそうなっただけで、結果を出すために来たのだと思うが。
5年間信じて支えた一貫性を自画自賛すると同時に、2013年との違いを強調する声も目につく。2013年の忘れ物を取り戻す旅は、2013年型モデルを根底から覆すことにより終結した。それは事実だろう。では、2013年とは何だったのか。簡単に振り返りたい。
2013年当時、戦術的切り口で語るレビュアーはほぼ存在しなかった。中村俊輔を中心に最適化された、不動のメンバー。榎本哲也、小林祐三、中澤佑二、栗原勇蔵、ドゥトラ、富澤清太郎、中町公祐、中村俊輔、兵藤慎剛、齋藤学、マルキーニョス。このメンバーこそが戦術だった。個への依存度は連覇時代より高い。
開幕6連勝と好スタートを切った後はややもたついたが、横浜は概ね順調に勝点を積み上げていく。結果が出ている以上、不満は表面化しない。しかし、1人欠けても成り立たないサッカーは、取りこぼしも少なくなかった。11月には中村俊輔自身が胆嚢炎で一時離脱してしまう。
1人で収めて1人で点が取れるマルキーニョスに疲れが見えてきた終盤は、1試合に1点取れるかどうかという有様だった。優勝したいという願いは、どうにか逃げ切ってくれという願望に近かった。残り2節で2位広島に勝点5差をつけたとき、多くの横浜サポは優勝をほぼ確信しただろう。
ところが、ご存知の通り、シーズン初の連敗を喫して広島の逆転Vを許した。調子が下降気味になっても固定メンバーに固執した。というより他に選択肢がなかった。2019年と違い、誰かが欠けても埋める選手がいなかったのが、結局は響いた。
多数のレビュアーがいる現在の視点では、2013年のサッカーは、いくらでも瑕疵が挙げられるだろう。ただし、1年間、久しぶりの本気の優勝争いという高揚感の中にいたことは確かだし、楽しかったのも事実だ。だから、2013年のサッカーを否定しても、思い出まで否定することはないとも思う。中村俊輔とのわだかまりが、当分は解けないとしてもだ。
さて、2013年を最後に、Jリーグチップスは発売されていない。この先復活することはあるだろうか。今見返すと、懐かしくもありほろ苦くもあるカードを紹介したい。
第1弾
レギュラーカード
029 栗原勇蔵
2013年の不動のイレブンの中で、最後まで横浜に残っていたが、2015年以降は出場機会が減っていった。2019年限りで引退。
030 兵藤慎剛
中盤の汗かき役として、わかりやすい貢献は少なかったかもしれないが、抜けるとありがたみがわかる選手だった。中村俊輔曰く、兵藤の良さがわからない人はサッカーを知らない人。自分はわかっていた自信はないが。
031 齋藤 学
愛媛FCへのレンタルにより成長し、レンタルバックの成功例として語られてきた。当時の横浜には数少ないドリブラーであり、戦術は学などと言われたほどだったが、2018年に川崎に移籍。
032 中村俊輔
2010年に復帰。2009年に復帰しかけるも心変わりしてスペインに移籍したため、横浜サポの受け止め方は複雑だったが、プレーで黙らせる。2013年はすべてが俊輔中心に動いていたが、またしてもリーグタイトルには届かず。
Jリーグアウォーズカード
誰もいねえ。
歴代MVPカード
Jリーグ20周年記念で歴代受賞者をカード化。2004年の中澤佑二はカード化されていない。
MVP-06 中村俊輔(2000)
2000年はJリーグチップスの全国発売休止中だったので、このユニ姿のカードはレアか。チャンピオンシップで敗れてのMVPは複雑だっただろう。その後、2013年にも、V逸でMVPに選ばれたわけだが。
インサートカード
各クラブ1人。キープレーヤーを選んでいると思われる。
IN-08 マルキーニョス
第2弾
レギュラーカード
101 ドゥトラ
再獲得の話を聞いたときは耳を疑ったが、2013年は不動の左SBとして君臨。右SBの小林祐三がリスペクトを隠さなかったという。
102 マルキーニョス
同じく、再獲得の話を聞いたときには耳を疑った。2012年序盤はリハビリの日々を過ごすが、戦列復帰するとゴールを量産。2013年には16得点を挙げるが、依存度が高すぎて、彼がゴールを奪えなくなると打つ手がなかった。金銭面で折り合わず、2013年限りで退団。
103 藤田祥史
マルキーニョスが不動の存在だったため、出場時間は限られたが、第4節ホームFC東京戦では2得点をマーク。
104 富澤清太郎
2012年に東京Vから移籍加入。その年の序盤に小椋祥平が負傷し、横浜サポの誰もがやばいと思ったが、穴を埋めて余りある活躍でレギュラーを奪取。2013年には中町公祐と不動のボランチコンビを築いた。
歴代ベストヤングプレーヤーカード
Jリーグ20周年記念で歴代受賞者をカード化。横浜は3人を輩出。いずれも、写真は初めてカード化されたときと同じ。
YP-03 川口能活(1995)
YP-10 那須大亮(2003)
YP-16 渡邉千真(2009)
千真がJリーグ新人最多得点記録を塗り替えたことは、2009年の数少ない明るい話題だった。
インサートカード
IN-26 中村俊輔
2020年、ACLを戦いながらの連覇は困難なミッションだろう。同年にリーグとACLの両方を制したクラブはまだない。まあ、心配しすぎても仕方ない。何より、楽しむという視点を忘れないようにしたい。
2007年に続く。